穆観とは? わかりやすく解説

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穆観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/06/13 10:00 UTC 版)

穆観(穆觀、ぼく かん、389年 - 423年)は、北魏官僚は闥抜。本貫代郡

経歴

穆崇の子として生まれた。宜都公の爵位を嗣いだ。若くして文芸で名を知られ、選抜されて内侍となり、道武帝に器量を認められた。409年永興元年)、明元帝が即位すると、穆観は左衛将軍の号を受け、門下中書をたばね、詔命の出し入れを管轄した。明元帝が故事について諮問するたびに、穆観はいつも応答に遺漏がなかった。宜陽公主を妻に迎え、駙馬都尉の位を受け、太尉に上った。422年泰常7年)、泰平王拓跋燾が監国となると、穆観はその下で右弼をつとめた。423年(泰常8年)6月、突然の病のため、苑内で死去した。享年は35。宜都王に追封された。は文成といった。

子女

  • 穆寿
  • 穆伏真(文成帝のときに尚書、任城侯、兗州刺史・仮寧東将軍、濮陽公)
  • 穆多侯(殿中給事、左将軍、長寧子、司衛監、乙渾に殺害された)

伝記資料

  • 魏書』巻27 列伝第15
  • 北史』巻20 列伝第8



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