王選侍_(泰昌帝)とは? わかりやすく解説

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王選侍 (泰昌帝)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 04:14 UTC 版)

選侍王氏(せんじ おうし、? - 万暦43年6月7日1615年7月2日))は、泰昌帝の皇太子時代の側室。

経歴

万暦年間、皇太子朱常洛(後の泰昌帝)の邸に入り、選侍(皇子の側室)となった。万暦37年(1609年)7月、皇太子の三男の朱由楫を産んだ。

万暦43年6月7日(1615年7月2日)、死去した。翠微山に葬られた。万暦44年12月20日(1617年)、実子の朱由楫も早世した。崇禎元年(1628年)、朱由楫が斉思王と追諡されたが、王選侍に追諡はなかった。

伝記資料

  • 『明神宗実録』
  • 『酌中志』



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