独立山砲兵第3連隊とは? わかりやすく解説

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独立山砲兵第3連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 04:21 UTC 版)

独立山砲三聯隊

現在の特科連隊的要素をもった部隊であり、31式山砲等を装備していた。

平時は2個大隊4個中隊(戦時:6個中隊)編成で1個中隊4門を保有。

通常、馬で牽引するが山道や不整地では分解して搬送した。このため、初期の山砲兵は歩兵等に比して体格の頑強な者が多かったが、戦争末期にはそうでもなかったそうである。(見学者談)

歴史

  • 1907年10月 山砲兵大隊第12師団小倉野砲兵第12連隊内に於て編成される。第11師団善通寺野砲兵第11連隊より下士官以下20数名編入。
  • 1907年12月1日 山砲兵大隊要員の初年兵96名小倉野砲兵第12連隊に入隊。第1中隊完成。
  • 1908年3月12日 小倉より久留米の新設兵舎に移転。
  • 1908年12月1日 初年兵入隊。第2中隊完成。
  • 1909年12月1日 初年兵入隊。第3中隊完成。山砲兵大隊は全国で3個大隊(第1大隊仙台、第2大隊岡山、第3大隊久留米)当時3個大隊共各3個中隊の大隊編成であったが後に連隊編成を改変、平時4個中隊の2個大隊、戦時は6個中隊の2個大隊となる。
  • 1914年8月 青島戦においては独立第18師団に一個中隊配属参加。当時の中隊は6門編成。中隊長 原 寅生大尉
  • 1922年8月 戦時その他の場合何れの師団にも配属できるようにと「独立」の称号が付せられるようになった。
  • 1925年5月1日 軍備整理のため第18師団廃止。連隊は第12師団所属となる。
  • 1932年3月3日~28日 上海事変には混成第24旅団独立山砲兵第3連隊第2大隊の1個大隊(2個中隊)参加。
  • 1932~1933年 満洲事変においては漢口・天津・済南等の守備部隊として1個中隊派遣(1年交代)
  • 1937年 日支事変勃発とともに北支へ出征、中支各地を転戦ののち満州にあったが、サイパン守備に任じ 聯隊が北支へ出征後、補充隊が編成され
  • 1939年 山砲兵第12聯隊として満州へ派遣。その後は平時編成から姿を消し、隣接の野砲兵第24聯隊補充隊へ吸収合併された。
  • 1944年7月 玉砕した。(聯隊の第二大隊は、サイパン転用にあたり千島派遣となり玉砕は免れた。) 

(陸自久留米駐屯地資料館展示パネルより)

久留米駐屯地広報資料館

本広報資料館は明治・大正・昭和に至る旧軍郷土部隊、特に第12師団、第18師団(菊兵団)、第56師団(龍兵団)等の貴重な資料や自衛隊関係資料等、約2000点を展示しています。 尚、資料館は明治30年(1897年)に建築された旧軍歩兵第48連隊の本部営舎(2階部)を使用しています。

開館時間:午前8時から午後5時

休館日:土・日・祭日

(リーフレットより)

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