櫛代賀姫神社とは? わかりやすく解説

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櫛代賀姫神社

読み方:クシシロカヒメジンジャ(kushishirokahimejinja)

別名 浜の八幡

教団 神社本庁

所在 島根県益田市

祭神 代賀姫命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

櫛代賀姫神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/30 09:45 UTC 版)

櫛代賀姫神社
所在地 島根県益田市久城町963番地
主祭神 櫛代賀姫命
応神天皇
社格 式内社(小)・県社
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櫛代賀姫神社(くししろかひめじんじゃ)は島根県益田市にある神社である。式内社で、旧社格は県社。獅子舞・角力・針供養の三つの特殊神事が知られている。

祭神

櫛代賀姫命(くしろかひめのみこと)を祭神とし、応神天皇を合祀している。東に40キロメートル離れた浜田市久代町には式内社・櫛色天蘿箇彦命神社(くしろあめのこけつひこのみことのじんじゃ)がある。

歴史

社伝によると往古大浜大谷浦に鎮座していたという。その後大同元年(806年)緒継浜に遷座し、万寿三年(1206年)高波によって海底に没した後、現在地の明星山にへ遷座した。応神天皇を合祀してからは「濱八幡宮」「濱の八幡」と称した。

明治五年(1872年)村社に列せられ、大正八年(1919年)郷社、昭和十二年(1937年)県社に列せられた。

伝説

社伝で、古代、櫛代族が瀬戸内海から日本海を俎上、鎌手大浜の地に上陸したとされている。

鎌手大谷の女島(姫島)・男島(彦島)で櫛代賀姫命と櫛色天蘿箇彦命が逢引する。櫛色天蘿箇彦命は頬かむりして通うが、いつの間にかずれてしまう。それが月の満ち欠けだというあどけない伝説がある。

なお櫛代は(くししろのみやつこ)は和邇氏同族で、彦武宇志命の後裔とされる。

脚注

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参考文献

  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十一巻 山陰道4』 皇学館大学出版部、1983年、914-919頁。
  • 『神祇全書 第5輯』 思文閣、1971年。[1]
  • 谷川健一編『日本の神々―神社と聖地 第七巻 山陰』 白水社、1985年、181-182頁。
  • 大島幾太郎『那賀郡史』 大島韓太郎、1970年、112-113頁。
  • 矢冨熊一郎『石見鎌手郷土史』島根郷土史会、1966年。

関連項目

外部リンク

  1. ^ 藤井宗雄『石見国式内神社在所考』所収


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