桜井徳太郎 (実業家)とは? わかりやすく解説

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桜井徳太郎 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 06:43 UTC 版)

桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1856年安政3年6月[1][2]) - 1908年明治41年)6月21日[2])は、明治時代の政治家実業家衆議院議員(1期)。

経歴

大和国宇智郡、のちの奈良県宇智郡五條町(現五條市)に生まれる[1]。幼くして森田仁庵の門に入り経史を修めたのち、佐野煥につき詩文を学んだ[1]。鉄道同志会幹事、大和銀行監査役、南和鉄道取締役、紀和鉄道社長を歴任した[2]。ほか、勧業諮問委員、実業奨励委員、土木調査委員を務めた[2]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では奈良県第3区から出馬し当選[2]弥生倶楽部に属し衆議院議員を1期務めた[2]

脚注

  1. ^ a b c 篠田 1891, 235頁.
  2. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 編 1962, 225頁.

参考文献




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