李宗城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 20:18 UTC 版)
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李 宗城(り そうじょう / リ ゾンチョン / イ ジョンチョン )は、明代中期の政治家であり、李言恭の子である。
出身地
南直隷鳳陽府盱眙(現在の江蘇省盱眙県)
生涯
若くして文才を知られた。
明の万暦年間(1573年~1620年)、日本(倭)が朝鮮を侵略した際、兵部尚書の石星が李宗城を都督佥事(軍事官職)として推薦し、彼を正使に任命。
副使には指揮官の楊方亨が就き、日本の侵略をやめさせるために、豊臣秀吉を「日本王」に封じる案をもって派遣された。
彼らは朝鮮の釜山まで赴いたが、日本軍の勢いは増しており、李宗城は恐れをなして変装して逃げ帰った。
このことにより、彼は投獄され、辺境への流刑(戍)の刑に処された。
出典
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- 《明史》
- 張廷玉 等(編)
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