李仁任とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 李仁任の意味・解説 

李仁任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/24 02:09 UTC 版)

李仁任(りじんにん、生年不詳 — 1388年)は高麗王朝末期の権臣。号は勝巖、本貫は星州。李成桂の最大の政敵であり、辛旽の門下生であった。恭愍王の治世中、紅巾軍や元朝の侵略を打ち破った。王禑が即位すると摂政となり、官は守門下侍中に至った。執政期間中は親元政策を推進した。1387年、崔瑩や李成桂との政治闘争で失脚し、翌年流刑に処され、流刑地で死去。死後、諡号は文肅とされた。

生涯

星山君李兆年の孫であり、李仁復の弟。蔭補により典客寺丞に任じられた。恭愍王7年(1358年)、典法総郎から左副承宣に昇進。8年(1359年)、紅巾軍が義州を攻略すると、恭愍王は李仁任を西京存撫使に任命し、紅巾軍の進攻に備えた。紅巾軍平定後、二等功臣に叙せられた。11年(1362年)、諸将と共に開京を奪還し、一等功臣に叙せられた。12年(1363年)、元朝が德興君を高麗王に冊封しようとした際、恭愍王は李仁任を西北面都巡問使および平壌尹に任命し、軍糧の調達を担当させた。14年(1365年)、恭愍王は李仁任を三司右使に任命し、後に都僉議賛成事に転任。「純誠同德輔理功臣」の号を賜り、左侍中に昇進。恭愍王の意向に迎合し、王后の祭祀のための大規模な土木事業を推進したため、高麗の国力が衰退した。

恭愍王23年(1374年)、李仁任は一時免職されたが、間もなく守門下侍中に復帰し、広平府院君に封じられた。同年、恭愍王が暗殺されると、李仁任は反対を押し切り、恭愍王の幼い子である王禑を王に擁立し、朝政を独占する権力を得た。明朝の討伐を避けるため、親元政策を採用した。執政期間中、官職の売買や汚職、虚名を好み、小恩小恵で人を懐柔する行為が当時の人々から嘲笑された。高麗の国庫が空になる中、李仁任は田地や奴僕を各地に所有し、門下生や旧友が朝野に広がっていた。王禑12年(1386年)、侍中に昇進し、翌年引退。14年(1388年)、京山府に流刑となり、親族や子弟も免職や流刑、あるいは極刑に処された。王昌元年(1388年)、左侍中曹敏修が李仁任の召還を求めたが、既に流刑地で病死していた。民衆は彼が再び国を乱すことを恐れていたが、死去の報を聞き、「人が殺せなかった彼を、天が裁いた!」と歓喜した。その後、子孫は官職に就くことを禁じられ、恭譲王の即位後、その邸宅は跡形もなく取り壊された。明朝は長期間、李仁任を李成桂の父と誤認し、『大明会典』に記載していた。朝鮮王朝は度々使者を派遣し、『大明会典』の訂正を求め、これを宗系辨誣と呼んだ。1588年、明朝はついに『大明会典』で李成桂の父を李子春に訂正した。

參考

  • 《高麗史·李仁任傳》:「李仁任,星山君兆年之孫。蔭補典客寺丞,累遷典法總郎。恭愍七年,拜左副承宣。」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「八年,紅賊陷義州,王命仁任為西京存撫使以備之。賊平,策功為二等。十一年,與諸將收復京都,又策功為一等。明年,元將納德興君,仁任為西北面都巡問使兼平壤尹,調兵食。」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「右司議大夫尹紹宗與同列上疏曰:『竊見李仁任以柔媚之資,挾其詐匿,夤緣父兄,事我玄陵,竊位宰相。影殿之役,中外嗷嗷。侍中柳濯請候農隙,忤旨見罷;而仁任遂代其位,當國秉政,迎合面諛,竭民財力,毒痡三韓,卒致甲寅之禍。」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「十四年,拜三司右使。轉都僉議贊成事,賜純誠同德輔理功臣號,進左侍中。二十三年罷,復為守侍中,封廣平府院君。」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「王見弒,太后及復興欲立宗親。復興宣太后旨於仁任,仁任貪立幼主,謀竊國柄,欲立王禑。議未決,李壽山曰:「今日之計當在宗室。」密直王安德、永寧君瑜等希仁任意,大言曰:『王以大君禑為後,舍此何求?』仁任率百官遂立禑。」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「或謂仁任曰:『自古國君見弒,為宰相者先受其罪。帝若聞先王之故,興師問罪,公必不免,莫若與元和親。』仁任然之。」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「仁任縱肆貪饕,瘠公肥私,致祿俸不給;顧行小惠以釣虛名,時人譏之。」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「國無旬日之儲,而田園奴婢遍中外,將相皆出其門。 」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「十四年,誅林廉,安置仁任於京山府,竄其弟前評理仁敏於雞林,配烽卒。杖流孽子大護軍瓛、孽女婿知申事權執經、侄右代言稷、姻族簽書密直河崙、李崇仁、密直副使朴可興,誅從孫三司右使存性。 」
  • 《高麗史·李仁任傳》:「王昌立,左侍中曹敏修白昌召仁任,時仁任已死矣。國人初聞被召,恐其復亂國政,開田民攘奪之門;尋聞其死,皆喜躍曰:『人不能誅,天乃殛之。」……上命禁錮子孫……恭讓即位,諫官吳思忠等又上書請斬棺瀦宅,籍沒家產,於是命瀦其宅。」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  李仁任のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李仁任」の関連用語

李仁任のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李仁任のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李仁任 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS