戸田為重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/23 05:36 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代初期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 家生、家正 |
官位 | 民部少輔 |
主君 | 豊臣秀吉→豊臣秀頼 |
氏族 | 戸田氏(非三河系) |
戸田 為重(とだ ためしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。
名は、家生あるいは家正とも伝わる。戸田勝隆・戸田重政の一族と考えられるが、勝隆の子との説もある[1]。
秀吉の蔵入地7万石の代官を勤め、慶長元年(1595年)前後に秀吉から1万石を賜り大名となった。1599年2月の秀吉の葬儀に名前が見られる。為重は、大坂冬の陣では南の平野口を守備したとされるが、為重本人ではなく為重の子という説がある。
脚注
- ^ 高柳 & 松平 1981, p.164
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