志保井義之とは? わかりやすく解説

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志保井義之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 06:28 UTC 版)

志保井 義之
生誕 (1881-12-28) 1881年12月28日
(明治14年)
東京市本所区林町
死没 (1943-07-13) 1943年7月13日(61歳没)
国籍 日本
別名 志保井義之柳風斎源正泰
職業 柔道整復師
柔術家
流派 天神真楊流
心鐵流剣舞
活動拠点 弘武館
志保井接骨院
肩書き 横川橋南部町會警務委員長
本所区柳島小学校奨励會常任理事
本所区體育會特別會員
本所区衛星委員
東京方面委員救護委員
子供 志保井義照
志保井藤太郎
家族 志保井義忠(孫)
補足
関東大震災の際、町會及び東京市長より感謝状を受ける。
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志保井 義之(1881年12月28日 -1943年7月13日)は、日本柔術家柔道整復師である。

経歴

1881年12月28日(明治14年)東京市本所林町で志保井藤太郎の長男として生まれる[1]。志保井家は東京砂町の名手役を代々務めていた旧家であった。

13歳で父が亡くなり、15歳頃から女流柔術家の宮本富之助より天神真楊流を学び20歳で目録を受けた。さらに天神真楊流の大家であった井上敬太郎に就いて柔術を研究した。関西各地を遊歴して柔術を研鑽し、24歳の時に宮本半蔵より天神真楊流免許を授かった[注釈 1]

天神真楊流における号は柳風斎で、志保井義之柳風斎源正泰と名乗っていた[3]


1908年(明治41年)に独立して柔術道場と整骨院を開業した。

1922年(大正11年)整復術師試験に合格した[4]

志保井義之は柔術の他に剣舞の達人でもあり心鐵流を開いた。


脚注

注釈

  1. ^ 子の志保井義照も志保井義之と宮本半蔵より天神真楊流を学んでいる[2]

出典

  1. ^ 東京日日通信社 編『昭和大典記念 自治業界發達誌』東京日日通信社、1928年
  2. ^ 東京都柔道整復師会 編『東京都柔道整復師会六十年史』東京都柔道整復師会、1980年
  3. ^ 東興秘密探偵社編集部 編『日本信用紳士録 全国篇 1967年版』東興秘密探偵社、1966年
  4. ^ 千葉勇 編『東京市方面委員名鑑 東京市方面制度實施十五週年記念』東京市方面委員名鑑刊行会、1936年

参考文献




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