山下照雄とは? わかりやすく解説

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山下照雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 22:05 UTC 版)

山下昭雄
Yamashita teruo
生誕 1978年????
職業 高校野球指導者
活動期間 1970年代–
団体 飾磨高校、東亜大学、日生学園第三高等学校、姫路商業高校、姫路市立琴丘高校、飾磨高校、神戸国際大学附属高等学校
代表作 甲子園までの歩行(2005年)、神戸国際大学附属高等学校女子硬式野球部立ち上げ
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山下 昭雄(やました てるお、1978年 - )は、日本の高校野球指導者。姫路市立飾磨高等学校東亜大学、日生学園第三高等学校(現在の自由ヶ丘高等学校)、姫路市立琴丘高等学校兵庫県立姫路商業高等学校神戸国際大学附属高等学校で活動し、硬式野球部や女子硬式野球部のコーチ、部長、監督を歴任した。

経歴

現役時代

高校1年生時に飾磨高校でプレーし、兵庫県大会準優勝を経験した。1994年頃、強豪の報徳学園高等学校と対戦し、飾磨高校が勝利を収めた。この試合では、山下が飾磨に所属し、報徳学園の岩上選手(後の神戸学院大学附属高等学校野球部監督)と対戦した。山下のサポートでの活躍とエースの三木投手の好投が勝利に貢献した。

大学時代

東亜大学に進学し、硬式野球部(中国地区大学野球連盟・中国六大学野球リーグ1部所属)に所属したが、プレイはしなかった。

初期の教員生活および日生学園第三高等学校

教員となった後、日生学園第三高等学校に就職した。近畿大学附属福山中学校で指導経験のある原智徳と協力し、野球部の指導に携わった。この時期、後にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ山林芳則や、後に兵庫県高校野球連盟理事を務める水尾達也を指導し、教え子として育て上げた。水尾は日生学園第三高等学校の出身であり、山下の指導を受けた。

2005年まで日生学園第三高等学校硬式野球部のコーチを務めた。原智徳が監督として「今から日生学園は変わります」をスローガンに「夢必達宣言指導」を開始し、部員22人が「夢必達官用紙」に目標を設定した。2005年夏の第87回全国高校野球選手権兵庫大会では3回戦で敗退した。

敗退後、原と山下は「甲子園への道」を確かめるため、8月4日から3日間かけて同校から甲子園球場まで88キロを歩いた。この取り組みは2005年8月6日付の朝日新聞地方版に「いつか甲子園へ、夢必達へ目標宣言」との見出しで掲載され、地元で話題となった[独自研究?]。山下は「道中考えさせられることが多く、将来は部員にも体験させたい」とコメントし、選手たちに強い印象を与えた。当時のキャプテンでキャッチャー、4番バッターの新井憂耶は「以前はダラダラした感のあるチームだったが、意識が高くなってきた」と語り、新チームキャプテンの石田秀一は「ピンチの時は9人だけでなく、全員でひとつになるようなチームにしたい」と意気込みを語った。選手たちは「本当に歩き抜いたのはすごい」と感嘆した。この経験を経て、チームは同年秋季西姫路地区大会で優勝し、県大会に進出した。

姫路市立琴丘高校および姫路商業高校

その後、姫路市立琴丘高校で指導に復帰し、サッカー部希望だった藤原虹気(1986年6月6日生まれ、兵庫県出身)を粘り強く勧誘し指導した。サイドスローからオーバースローにフォームを改造し、球速を140km/h近くに向上させ、緩急をつけたカーブなどの変化球を習得させた。山下は「長く投げ続け、バックの信頼を得た投手に育てたい」と精神面の強化にも注力した。

姫路商業高校では教員として活動し、野球部の指導にも関与した。

神戸国際大学附属高等学校

2023年、神戸国際大学附属高等学校から女子硬式野球部の顧問としてのオファーを受け、就任した。チーム事情により監督に昇格し、女子野球部の立ち上げに尽力した。2020年7月時点では部長として活動した(毎日新聞、2020年7月16日)。2023年の第27回全国高等学校女子硬式野球選手権大会では、初出場を果たし、元プロ野球選手の久慈照嘉がコーチとして指導に加わった。同年7月22日、至学館高等学校戦で11-0(5回コールド)で勝利し、監督の赤松浩延(当時)は「去年の初めての夏は右も左も分からない中で負けたが、今回は選手が成長した」とコメントした。2023年10月3日には満塁本塁打で初勝利を挙げ、同年6月12日に久慈照嘉による指導が行われるなど、チーム強化が進められた。2024年は監督を務めている。

指導スタイル

山下は原智徳との連携を通じて、選手の意識改革と目標設定を重視する指導を行った。2005年の甲子園までの88キロ歩行は、 選手たちに努力と覚悟の大切さを体現する象徴的な行動として知られている[独自研究?]。琴丘高校では藤原虹気のフォーム改造や精神面の強化に取り組み、チームを支える選手の重要性を強調した。姫路商業高校では中村太紀をプロ選手へと導く指導を行い、神戸国際大学附属高等学校では久慈照嘉らと共に女子硬式野球部の基盤づくりに貢献し、立ち上げに力を注いだ。

脚注

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