大原羑子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大原羑子の意味・解説 

大原羑子

(大原ゆう子 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/28 04:57 UTC 版)

大原 羑子(おおはら ゆうこ ”ゆうこ”の”ゆう”は、”美しい”の上部分の下に”久”、1943年3月22日生まれ)は、ファッションブランド「燐 Rin」のパタンナーを務める。

略歴

  • 1995年9月 「貝殻の標本~死装束の展覧会」(東京 文芸坐ル・ピリエ)「私は死んでも好きな服が着たい」この考えをもとに記憶の抜け殻としての服(死装束)を発表。コンセプチュアル・アートとして様々な物議と反響を得る。
  • 1998年 千葉 国立歴史民俗博物館にて「死装束を用意するということ」講演。
  • 1999年6月 「ファッションコラボレート・BIRTH」(福岡西鉄ホールプロデュース)帽子デザイナー、田中重子氏とのコラボレート・ファッションショーに洋服パタンナーとして参加。
  • 1999年6月 ファッションブランド「燐~Rin」パタンナーに。
  • 1999年12月 貝殻の標本がNHKドキュメントにっぽんにおいて「旅立ちはドレスで」というドキュメンタリー番組となり、多大な反響を得る。

出典

脚注

  1. ^ 福岡市に住む大原ゆう子さん(56)は、人生の最後にまとう衣装“死に装束”のデザイナー。大原さんのドレスと出会った人々が、今までの自分の人生を見つめ直し、残された人生を前向きに歩んでいく姿を描く。
  2. ^ 1995 9月「貝殻の標本~死装束の展覧会」東京 文芸坐ル・ピリエ 貝殻の標本コンセプト「私は死んでも好きな服が着たい」この考えをもとに記憶の抜け殻としての服(死装束)を発表。コンセプチュアルアートとして様々な物議と反響を得る。以後、大阪扇町ミュージアムスクエア、東京文芸座ルピリエで、98年まで4度の再演。熊本現代美術館にて、現代アートとしての展示。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  大原羑子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大原羑子」の関連用語

大原羑子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大原羑子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大原羑子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS