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古市胤憲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/07 07:38 UTC 版)

 
古市 胤憲
時代 室町時代中期
生誕 不明
死没 寛正2年8月20日1460年9月4日
別名 丹後公、吉岡胤憲
氏族 古市氏
父母 父:胤賢
吉岡尼
胤仙宜胤
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古市 胤憲(ふるいち いんけん)は、室町時代中期の僧侶

略歴

興福寺大乗院の筆頭宗徒であった古市胤賢の子として生まれる。

  • 1451年宝徳3年)、妻の吉岡尼は神社参拝の際、敵方が人質にするため車輿を待ち伏せていたが、途中で車輿を降りて歩いていたので難を逃れた[1]
  • 1453年8月8日享徳2年6月24日)に長男の胤仙が死去[2]
  • 1457年康正3年)2月、興福寺の「花頭」という行事について取り仕切れと命令があったが、指示が不十分のため実行できないと申し立てたところ処罰された[3][4]
  • 1459年長禄3年)3月に妻の吉岡尼が死去[2]
  • 1460年寛正2年8月20日)、逝去[4][2][5]8月22日の大乗院寺社雑事記には、「寺院の務めや儀式を執り行うにあたり、胤憲死去によって、この先50日間は古市氏の御座(立場・役席)を設けることができない――などという通達がなされた」と記録されている。

脚注

  1. ^ 『総合女性史研究 (12)』、総合女性史学会、1995年、12頁
  2. ^ a b c 『奈良県史 第11巻』、奈良県史編集委員会 編、1993年、511頁
  3. ^ 『大乗院寺社雑事記 第1巻』、辻善之助 編・校訂、1964年、228頁
  4. ^ a b 『日本文化』、肥後和男 著、1939年、367-368頁
  5. ^ 『大乗院寺社雑事記 第3巻 尋尊大僧正記. 10-188(自長禄2年12月至永正元年4月)』、辻善之助 編、1932年、26頁



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