両全寺とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 寺院名 > 両全寺の意味・解説 

両全寺

読み方:リョウゼンジ(ryouzenji)

宗派 臨済宗妙心寺派

所在 岐阜県飛騨市

本尊 千手観世音菩薩

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

両全寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 03:38 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
両全寺
所在地 岐阜県飛騨市神岡町麻生野291
位置 北緯36度18分43.4秒 東経137度19分17.4秒 / 北緯36.312056度 東経137.321500度 / 36.312056; 137.321500座標: 北緯36度18分43.4秒 東経137度19分17.4秒 / 北緯36.312056度 東経137.321500度 / 36.312056; 137.321500
山号 慶雲山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 釈迦如来
創建年 享禄2年(1529年)
開山 桃源周岳
開基 麻生野直盛
別称 竜の寺
札所等 飛騨三十三観音霊場23番
法人番号 5200005010481
テンプレートを表示

両全寺(りょうぜんじ)は岐阜県飛騨市神岡町麻生野にある釈迦如来を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院で、山号は慶雲山。飛騨三十三観音霊場23番札所。

享禄2年(1529年)に江馬時盛の子、麻生野直盛が城を構えた際に城の守りとして発願し、野田の地に桃源周岳和尚を開山として建立された。創建当初の山号は日月山。中国の書、周処傳の日月両全の語に因んで名づけられた。創建当初は天台宗の寺院であったと伝わる。麻生野直盛は伽藍を整備中に没したため、子の麻生野慶盛と江馬宗久が後ろ盾となり完成させた。その後、5世住持直伝宗全により臨済宗妙心寺派となり、高山の宗猷寺の末寺となった。10世住持を祥隠鹿苑が務めていた際に焼失したため、11世住持、文溟廣扶の代に現在地に移転して再興された。その後、明治23年(1890年)に妙心寺の末寺となっている。

寺宝として円空作の薬師如来を所蔵しているほか、本堂には龍の襖絵が描かれている。

参考文献

  • 松下千二『飛騨寺院風土記』p.213-214 濃飛展望社、1977年
  • 飛騨三十三観音霊場会『飛騨三十三観音霊場めぐり』p.127 2005年
  • 飛騨市教育委員会『神岡町史 通史編2』p478 飛騨市教育委員会、 2009年


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「両全寺」の関連用語

両全寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



両全寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの両全寺 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS