レアンドロ・デサバトとは? わかりやすく解説

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レアンドロ・デサバト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/08 01:44 UTC 版)

レアンドロ・デサバト
名前
愛称 Chavo
ラテン文字 Leandro DESÁBATO
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1979-01-24) 1979年1月24日(44歳)
出身地 カッフェラータスペイン語版
身長 186cm
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2018 エストゥディアンテス 163 (8)
2001-2002 オリンポ (loan) 32 (1)
2002-2006 キルメス (loan) 101 (5)
2006-2007 アルヘンティノス (loan) 34 (4)
代表歴
2011-2012 アルゼンチン 4 (0)
監督歴
2020 エストゥディアンテス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

レアンドロ・デサバトLeandro Desábato, 1979年1月24日 - )は、アルゼンチンサンタフェ州カッフェラータ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー

経歴

クラブ

1997年にエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタでプロとしてのキャリアを開始した。2001年にクラブ・オリンポスペイン語版で1シーズン過ごした後、キルメスACへプレーする場を移した。デサバトは、両チームでプリメーラB・ナシオナルからプリメーラ・ディビシオンへの昇格を経験した。2005年のコパ・リベルタドーレスサンパウロFCグラフィッチに人種差別発言をしたとし、試合後に警察に逮捕された[1]。元ブラジル代表でコラムニストのトスタンは、これは単にサッカー界で常に存在してきた挑発の一種で、彼はレイシストではないと擁護した[2]。2006年、キルメスを後にしAAアルヘンティノス・ジュニアーズへ移籍。そこで2年間を過ごした後、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタへ戻った。2008年後期からスタメンの座を掴むとコパ・スダメリカーナ決勝進出に貢献した。

2009年も引き続き中心選手としてプレーし、同年のコパ・リベルタドーレス優勝に貢献した。大会中にCBのパートナーが、アグスティン・アラジェススペイン語版クリスティアン・セジャイロランド・スキアビと次々と変わっていく中でもデサバトは守備陣で唯一全試合に出場した。

2009年にエル・パイススペイン語版紙が実施し、ジャーナリストの投票で決まる南米チーム・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

代表

2011年、ブラジル代表とのスーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカスに向けた試合に、負傷で辞退したギジェルモ・ブルディッソの代わりに招集され、11月15日の同試合でアルゼンチン代表デビューを果たした[3]

脚注

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