ヴォルタ館とは? わかりやすく解説

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ヴォルタ館

(ライシアム・ピクチャー・シアター から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/06 11:19 UTC 版)

ヴォルタ館
  • ヴォルタ・エレクトリック・シアター
  • ヴォルタ・シネマトグラフ
  • ライシアム・ピクチャー・シアター
メアリー・ストリート45番地にあったヴォルタ館
ヴォルタ館
Location within ダブリン中心部
概要
住所 メアリー・ストリート45番地、ダブリン1
ダブリン
アイルランド
座標 北緯53度20分56秒 西経6度15分57秒 / 北緯53.348986度 西経6.265883度 / 53.348986; -6.265883
種類 映画館
座席数 600館[1]
スクリーン 1
現用途 閉館
開業 1909年12月20日 (1909-12-20)
閉鎖 1948年 (1948)
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ヴォルタ館(ヴォルタかん、英語: Volta Electric Theatre、英語: Volta Cinematograph、英語: Cinematograph Volta)、別名ライシアム・ピクチャー・シアター (Lyceum Picture Theatre) はアイルランドダブリン、メアリー・ストリート45番地にあった映画館である。アイルランドに初めてできた映画館であり、ジェイムズ・ジョイスが創設に関わったことで知られている。

来歴

1900年代初め頃は各地で映画が人気を博していたため、作家のジェイムズ・ジョイスは当時オーストリア=ハンガリー帝国の一部であったトリエステを訪ねた後、イタリア人の友人の支援も得て、アイルランドに映画館を作ろうと考えた[2][3]。1909年にジョイスはトリエステの実業家ふたりとダブリンに戻り、メアリー・ストリートの以前は金物商だった建物を見つけた[4]。この時ジョイスはダブリンに戻って永住するつもりはなかったという[1]。ジョイスはコークベルファストにも行って映画館が開けないか検討したというが、これは実現しなかった[1]。1909年12月20日、メアリー・ストリート45番地にダブリン最初の映画館であるヴォルタ館がオープンした[4]。初日の夜には喜劇映画Devilled Crabs (1909)ミステリ映画 Bewitched Castle (1909)、La Pouponnièrre (1909)、The First Paris Orphanage (1908)Beatrice Cency (Beatrice Cenci, 1909) が上映された[5][6][注釈 1]

初めは行列ができるほどの人気であったが、イタリアやフランスなどの映画ばかりで内容がダブリン市民の生活ぶりからかけ離れていたこともあり、すぐに入場者が減ってしまった[4]。1910年1月にはジョイスは経営をトリエステ出身の実業家であるフランチェスコ・ノヴァクにまかせてダブリンを発った[1]。開館から半年ほどでヴォルタ館の経営は悪化した[7]

1919年にとうとうヴォルタ館は閉館した[1]。ブリティッシュ・プロヴィンシャル・シネマ・カンパニーに買い取られ、ライシアムと改名して1921年に営業再開した[4][8]。1948年までは映画館として営業を続けていた[4]。1969年にもともと映画館だった場所にペニーズができた[8]

影響

ヴォルタ館の事業じたいはうまくいかなかったが、1910年代にはダブリン市内に他にも映画館がいくつもできるようになった[1]

映画館事業は失敗したものの、ジョイスの作品は当時の映画からさまざまな影響を受けていると考えられる[7]。ヴォルタ館は開館時にサンドイッチマンを雇ったが、『ユリシーズ』にもサンドイッチマンが登場している[4]

ヴォルタという名称は今もアイルランド映画の関連事業などで歴史を記念して使用されることがある[8]ダブリン国際映画祭英語版で映画への貢献を称える賞はヴォルタ賞と名付けられている[8][9]。Shift72が提供しているアイルランドの映像作品のストリーミングサービスはヴォルタという名称である[10][11]

脚注

  1. ^ a b c d e f Marc Zimmermann. “The lost picture shows” (英語). The Irish Times. 2025年6月2日閲覧。
  2. ^ Citizens of Trieste, Austro-Hungarian Empire, though Italians by nationality. (Niccolò Vidacovich, Giuseppe Caris, Antonio Machnich, Giovanni Rebez)
  3. ^ 岩見寿子「アイルランド映画史概観」岩見寿子、宮地裕美子、前村敦『映画で語るアイルランド—幻想のケルトからリアルなアイルランドへ』論創社、2018、2-15、p. 4
  4. ^ a b c d e f Declan Collinge (2024年2月17日). “How my grandfather helped James Joyce to establish Dublin’s first cinema” (英語). Irish Independent. 2025年6月2日閲覧。
  5. ^ Cinema and Ireland, p5
  6. ^ Richard Ellmann, James Joyce. Oxford University Press, New York 1959, 1982. p. 303. ISBN 0-19-281465-6.
  7. ^ a b 楚輪松人「ジョイスと読み解くリチャード・ハミルトンの 《祖国アイルランド》 ――“ポップアートの父”と深読みする『ユリシーズ』」『金城学院大学論集人文科学編』19.1(2022)、50-106、p. 78。
  8. ^ a b c d Mulvaney, Amy (2019年5月15日). “Double Take: The surprising site of the first Irish cinema that was set up by James Joyce” (英語). TheJournal.ie. 2025年6月2日閲覧。
  9. ^ Volta Awards: Ed Harris” (英語). Diff. 2025年6月2日閲覧。
  10. ^ Akbar, Rachel (2022年1月12日). “Volta Case Study: Expanding their brand with VOD” (英語). www.shift72.com. 2023年8月2日閲覧。
  11. ^ Home” (英語). Volta Pictures. 2025年6月2日閲覧。

注釈

  1. ^ Devilled Crabs』『Beatrice Cency』はイタリア映画、ほか3作品はフランス映画であった

参考文献

  • The Cambridge History of Twentieth-Century English Literature (New York: Cambridge University Press, 2004) (at 342-343)
  • Kevin Rockett, Luke Gibbons and John Hill, Cinema and Ireland (Croom Helm, 1987) (at 5-6)
  • Bruce Stewart, James Joyce (Oxford University Press, 2007) (at 48-49)
  • The Jameson Dublin International Film Festival, "Volta Award"

外部リンク




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