マルグリット・ド・ブルボン_(1438-1483)とは? わかりやすく解説

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マルグリット・ド・ブルボン (1438-1483)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:28 UTC 版)

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マルグリット・ド・ブルボン
Marguerite de Bourbon
ブロウ修道院にあるブレス伯爵夫人マルグリットの墓の彫像

出生 (1438-02-05) 1438年2月5日
フランス王国ムーラン
死去 (1483-04-24) 1483年4月24日(45歳没)
サヴォイア公国、ポン=ダン
埋葬 サヴォイア公国ブール=カン=ブレス、ブルー修道院
配偶者 ブレスフィリッポ
子女 ルイーザ
ジローラモ
フィリベルト2世
家名 ブルボン家
父親 ブルボン公シャルル1世
母親 アニェス・ド・ブルゴーニュ
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マルグリット・ド・ブルボン(Marguerite de Bourbon, 1438年2月5日 - 1483年4月24日)は、サヴォイアフィリッポ2世の最初の妻。夫の家督継承以前に死去したため、ブレス伯爵夫人の称号で呼ばれた。フランス王フランソワ1世の母方の祖母にあたる。イタリア語名はマルゲリータ・ディ・ボルボーネ(Margherita di Borbone)。

生涯

ブルボン公シャルル1世とその妻でブルゴーニュジャン1世(無畏公)の娘であるアニェスの間の第8子、三女として生まれた。1472年4月6日にムーランにおいて、サヴォイア公アメデーオ9世の弟で当時はブレス伯だったフィリッポと結婚した。夫は1496年にサヴォイア公爵位を継承した[1]。2人の婚約協定は1471年1月6日にトゥールにおいて結ばれている[2]。遺骸は息子フィリベルト2世およびその妻マルグリットと一緒に、ブール=カン=ブレスのブルー修道院に葬られた。

子女

参考文献

  • François Rouget: Marguerite de Berry et sa cour en Savoie d’après un album de vers manuscrits. In. Revue d’histoire littéraire de la France. Jg. 106, Nr. 1, 2006, ISSN 0035-2411, S. 3–16.

脚注

  1. ^ Michèle Brocard: Yolande de France, duchesse de Savoie. Sœur de Louis XI. Editions Cabedita, Yens sur Morges 1999, ISBN 2-88295-254-6, S. 91.
  2. ^ Michèle Brocard, S. 83.



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