マチュー・ド・フォワ_(コマンジュ伯)とは? わかりやすく解説

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マチュー・ド・フォワ (コマンジュ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/12 23:35 UTC 版)

マチュー・ド・フォワ
Mathieu de Foix
コマンジュ伯
在位 1419年 - 1443年

出生 1385年
死去 1453年12月
配偶者 コマンジュ女伯マルグリット
  カトリーヌ・ド・コアラズ
子女 ジャンヌ
マルグリット
家名 グライー家
父親 アルシャンボー・ド・グライー
母親 フォワ女伯イザベル
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マチュー・ド・フォワフランス語:Mathieu de Foix, 1385年 - 1453年12月)は、妻の権利によりコマンジュ伯(在位:1419年 - 1443年)。1440年より金羊毛騎士団の団員であった。

生涯

生い立ち

マチューはアルシャンボー・ド・グライー英語版フォワ女伯イザベル英語版の間に生まれた[1]

おそらく兄のジャン1世と同じようにフランス宮廷で育ち、1413年に騎士とされた。この間に、マチューはブルゴーニュ公ジャン(無怖公/怖れ知らず)と親しくなった。

忠誠に対する褒美として、次代のブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)と同盟を結んでいたフランス王シャルル6世は、ナルボンヌ子爵ギヨーム2世英語版[注釈 1]が領有していたナルボンヌ子爵領をマチューに与えた。しかし、ナルボンヌの町は正当な領主ギヨーム2世に忠実であったため、マチューは実効支配することができなかった。

結婚

1419年にギヨーム2世の義母であるコマンジュ女伯マルグリットと結婚した。マチューはマルグリットをコマンジュ伯領の統治から追放した後、マルグリットを監禁し、自由を奪った[2]。マチュー・ド・フォワはマルグリットを穏やかに扱わず、結婚してまだ1年も経っていないのに、これが彼女の情欲を抑える唯一の方法だと言って監禁した[2]

その直後、フランス王への忠誠心が高く評価されていたにもかかわらず、マチューはブルゴーニュ同盟を放棄し、王太子シャルルに忠誠を誓い、1426年から1428年までドーフィネの総督に任命された[1]

兄ジャン1世の死後、甥のガストン4世に代わってフォワ伯領の摂政となった。不満を抱いたマルグリットの家臣はマルグリットの返還を要求し、フランス王シャルル7世に訴え、マルグリットの釈放を命じた。しかしマチューはこれを拒否し、妻とともにフォワに移った。

アルマニャック伯との抗争

1440年、マチューはブルゴーニュ公フィリップ3世が主宰する金羊毛騎士団の騎士となった。シャルル7世はアルマニャック伯ジャン4世にコマンジュ伯領を占領させ、1441年にフォワ伯とアルマニャック伯の間で戦争が勃発したが、1442年のイングランド-フランス戦の間だけ中断された。この遠征の後、シャルル7世は再びマルグリットの釈放を命令した。マルグリットはその後すぐに亡くなり、コマンジュをフランス王に遺贈した。

1449年、マチューはガストン4世に同行してモレオン包囲戦に赴いた。マチューはその4年後に死去した[1]

結婚と子女

マチューは1419年7月16日にコマンジュ女伯マルグリット(1443年没)と結婚したが、マルグリットとの間に子供はいなかった。

マルグリットの死後に、マチューは、アスペ男爵レーモン・アルノー・ド・コアラズの娘カトリーヌと1446年頃に再婚し、2女が生まれた。

  • ジャンヌ - 1460年にカラマン子爵・サン=フェリックス男爵ジャンと結婚
  • マルグリット - 1471年にアントワーヌ・ボンヌヴァルと結婚

また、愛妾との間に、1男をもうけた。

  • ジャン・バティスト・ド・フォワ - 「グライーの私生児」として知られる。後にダクスコマンジュの司教となり、1498年に嫡出として認められた。

脚注

注釈

  1. ^ 当時父王との関係が悪化していた王太子シャルルの支持者。

出典

参考文献




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