フィデナエの戦い_(紀元前426年)とは? わかりやすく解説

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フィデナエの戦い (紀元前426年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/11 13:36 UTC 版)

フィデナエの戦い(紀元前426年)

紀元前6世紀のフィデナエ
戦争:ローマ・エトルリア戦争
年月日紀元前426年
場所:フィデナエとアニオ川の間の渓谷
結果:ローマの勝利[1]
交戦勢力
共和政ローマ エトルリアフィデナエウェイイ
指導者・指揮官
マメルクス・アエミリウス・マメルキヌス
ローマ・エトルリア戦争

フィデナエの戦い(フィディナエのたたかい)は、紀元前426年に発生した、独裁官(三度目)マメルクス・アエミリウス・マメルキヌスが率いるローマ軍フィデナエウェイイエトルリア連合軍の戦い。ローマが勝利し、フィデナエは破壊された。

背景

紀元前426年、ティトゥス・クィンクティウス・ポエヌス・キンキナトゥス、ガイウス・フリウス・パキルス・フスス(en)、マルクス・ポストゥミウス・アルビヌス・レギッレンシス(en)、およびアウルス・コルネリウス・コッスス(en)が執政武官に選ばれた[2]。このころウェイイがローマ領を襲撃していたため、これに対処する任務が与えられた。

マルクス・ポストゥミウスはローマの防衛を担当し、他の3人は軍を率いてエトルリア領へ侵攻した。しかし、3人は上手く協力することができずに敗北を喫してしまった。

ローマにこの敗北の知らせが届くと、フィデナエでローマの植民者が殺されていたこともあり、恐怖が沸き起こった。このため、元老院はマメルクス・アエミリウス・マメルキヌスを三度目の独裁官に任命した[2]

戦闘

ウェイイ軍がテヴェレ川を渡ってフィデナエに集結すると、マメルクス・アエミリウスはアウルス・コルネリウスをマギステル・エクィトゥム(騎兵長官、副司令官)に任じ[2]、来るべき戦闘に備えて軍の編成を開始した[3][4]

アメミリウスは、フィデナエから2キロメートル程度はなれた場所に野営地を設営したが、左側は高台、右側はテヴェレ川によって防御されていた。さらにアウルス・コルネリウスに対して、敵の背後の高地を気付かれずに占領するように命じた[3]

戦闘は翌日に起こり、非常に激しいものとなった。ローマ軍はフィデナエから敵兵が出撃してくると、大声で叫び弓矢で攻撃した。このために敵軍は混乱した。アメミリウスは隠しておいた予備兵と騎兵に突撃させ、これでエトルリア軍は大混乱となった。お互いにぶつかりあい、また砂埃のために動きが制限された[5]

両側から攻撃を受け、さらにローマ騎兵に蹴散らされ、ウェイイ兵は戦場を捨て、テヴェレ川を渡って敗走した。フィデナエ兵は城壁の内側に撤退したが、これをローマ軍が追撃した。追撃部隊はフィデナエに突入し、続いて直ぐにローマの全軍が街に入った[1]

戦闘と言うよりは虐殺となり、フィデナエ兵は武器を捨て、アメミリウスに命乞いをした。フィデナエと野営地は略奪された[1]

その後

活躍したローマ兵達に一人あるいはそれ以上の捕虜を褒美として与えた後、残りのフィデナエ兵はローマに連行され、奴隷として競売された[1]

参考資料

  1. ^ a b c d リウィウスローマ建国史』IV, 34.
  2. ^ a b c リウィウスローマ建国史』IV, 31.
  3. ^ a b リウィウスローマ建国史』IV, 32.
  4. ^ ティトゥス・リウィウスによると、これはフィデナエのローマに対する7回目の反乱であった。
  5. ^ リウィウスローマ建国史』IV, 33.

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