パール・ラースローとは? わかりやすく解説

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パール・ラースロー

(パアール・ラースロー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 02:29 UTC 版)

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この項目では、印欧語族風に、名前を名姓順で表記していますが、ハンガリー語圏の慣習に従いラースロー・パールと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名)
パール・ラースロー
Paál László
生誕 1846年7月30日
ハンガリー王国(ルーマニア),Zám
死没 (1879-03-04) 1879年3月4日(32歳没)
フランス,シャラントン=ル=ポン
国籍  ハンガリー
運動・動向 バルビゾン派

パール・ラースロー(Paál László、1846年7月30日 - 1879年3月4日)はハンガリーの風景画家である。ウィーンなどで学んだ後、1873年からバルビゾン派の画家の一人として活動したが32歳で病没した。

経歴

現在のルーマニア、フネドアラ県のZámに生まれた。父親は郵便局長で、家族は各地をしばしば転居した。アラドで、画家のボーム・パール(Böhm Pál)に絵を学んだ。1864年に父親の希望で、法律を学ぶためにウィーンに移ったが、美術に転じウィーン美術アカデミーで学び、1866年に風景画家のアルベルト・ツィンマーマンの弟子になった[1]。1869年にミュンヘンの展覧会に出展し、フランスの「バルビゾン派」の画家たちと知り合うことになった。

1870年に学生仲間のオイゲン・イェッテル(Eugen Jettel:1845-1901)とオランダを旅し[2]、その年の終わりに古いハンガリーの友人ムンカーチ・ミハーイが学んでいたデュッセルドルフ美術アカデミーに入学した。その後、ロンドンの画商の招きでイギリスに渡り、イギリスを代表する風景画家のジョン・コンスタブルの作品から影響を受けた[1]

1873年からフランスに住み、バルビゾン派の画家の一人として活動し[2]サロン・ド・パリに毎年出展するようになり、1878年のパリ万国博覧会の展覧会ではメダルを受賞した。この頃には、おそらく結核と思われる病気が悪化し、シャラントン=ル=ポンの自宅の事故で重傷を負い。回復することなく1879年の春に死去した。32歳だった。

作品

参考文献

  1. ^ a b K. Benda: Paál László. In: Österreichisches Biographisches Lexikon 1815–1950 (ÖBL). Band 7, Verlag der Österreichischen Akademie der Wissenschaften, Wien 1978, ISBN 3-7001-0187-2, S. 275.
  2. ^ a b Fine Arts in Hungary: Brief Biography

関連書籍

  • Götz Czymmek (ed.): Landschaft im Licht. Impressionistische Malerei in Europa und Nordamerika 1860–1910. Exhibition catalog from the Wallraf-Richartz Museum, Cologne, and the Kunsthaus Zürich, 1990
  • Bényi László, Paál László (album), 2nd revised edition. Budapest : Képzőművészeti, 1983. ISBN 963-336-320-9
  • Magyar nagylexikon XIV. (Nyl–Pom). Budapest 2002. ISBN 963-92571-1-7



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