ダウラト・ハーン・ローディーとは? わかりやすく解説

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ダウラト・ハーン・ローディー

(ダウラト・ハン・ロディー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 08:48 UTC 版)

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ダウラト・ハーン・ローディー
Daulat Khan Lodi
トゥグルク国王
ダウラト・ハーン・ローディー
在位 ? - 1414年

全名 ダウラト・ハーン・ローディー
死去 1414年
家名 ローディー家
王朝 トゥグルク朝
宗教 イスラーム教
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ダウラト・ハーン・ローディー(? - 1414年)は、インド北部を支配したトゥグルク朝の第9代、すなわち最後の君主(在位:1413年 - 1414年)。

生涯

トゥグルク朝と直接の血縁関係は無く、アフガン系のローディー族出身といわれる。

末期状態にあったトゥグルク朝で強力な臣下として権力を握り、1413年にナーシルッディーン・マフムード・シャーが崩御して王家が断絶すると後継者として即位した[1]

しかし、このために求心力までも失ったトゥグルク朝はさらに混乱し、1414年にティムールの旧臣だったヒズル・ハーンの侵攻を受けて打ち負かされ、ここにトゥグルク朝は滅亡した[2]

脚注

  1. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.149
  2. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.149

参考文献

  • フランシス・ロビンソン、月森左知訳 『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』 創元社、2009年。 

関連項目

先代:
ナーシルッディーン・マフムード・シャー
トゥグルク朝の君主
1413年 - 1414年
次代:
滅亡



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