ジョージ・モンタギュー (初代モンタギュー公爵)とは? わかりやすく解説

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ジョージ・モンタギュー (初代モンタギュー公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 04:04 UTC 版)

ジョージ・モンタギュー
George Montagu
初代モンタギュー公
第4代カーディガン伯
ウィリアム・ビーチー英語版による肖像画、1752年以降。
在位 モンタギュー公1766年1790年
カーディガン伯:1732年 – 1790年

出生 (1712-07-26) 1712年7月26日
死去 (1790-05-23) 1790年5月23日(77歳没)
配偶者 メアリー・モンタギュー
子女 ジョン
エリザベス
メアリー
ヘンリエッタ
家名 ブルーデネル家/モンタギュー家
父親 第3代カーディガン伯ジョージ・ブルーデネル
母親 エリザベス・ブルース
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初代モンタギュー公爵ジョージ・モンタギュー英語: George Montagu, 1st Duke of Montagu KG PC FRS FSA1712年7月26日1790年5月23日)は、イギリスの貴族。

生涯

第3代カーディガン伯爵ジョージ・ブルーデネルエリザベス・ブルース英語版(1689年1月頃 – 1745年12月、第3代エルギン伯爵および第2代アイルズベリー伯爵トマス・ブルースの娘)の息子として、1712年7月26日にリンカーンズ・イン・フィールズのカーディガン・ハウス(Cardigan House)でジョージ・ブルーデネルGeorge Brudenell)として生まれ、8月1日にセント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールズ英語版で洗礼を受けた[1]。1726年7月1日にオックスフォード大学クイーンズ・カレッジ英語版に入学、1730年1月31日にM.A.の学位を修得した[2]。また、1727年10月1日のジョージ2世戴冠式ではページ・オブ・オナー英語版の1人だった[1]

1732年7月5日に父が死去すると、カーディガン伯爵の爵位を継承した[1]。その後、1749年7月15日に妻の父にあたる第2代モンタギュー公爵ジョン・モンタギューが死去すると、姓をモンタギューに改めた[1]

1749年12月7日に王立協会フェローに選出され[3]、1784年4月1日にロンドン考古協会フェローに選出された[1]

1742年から1752年まで北トレント巡回裁判官英語版を、1752年から1790年までウィンザー城管理長官及び総督英語版を務めたほか、1752年6月4日にガーター勲章を授与され、またトーリー党に所属したため1766年11月5日にグレートブリテン貴族であるモンザーマー侯爵モンタギュー公爵に叙された[1][4]。このとき、同じく公爵の娘と結婚しているヒュー・スミソンも公爵への叙爵を打診されたが、ジョージ3世が求めた、爵位の継承権を公爵の娘の末裔に限定する要求について、スミソンが受け入れた一方、モンタギューは拒否したという[5]

1776年6月5日に枢密顧問官に任命され、同年から1780年まで王太子ジョージフレデリック王子の家庭教師を、1780年から1790年まで主馬頭英語版を、1789年から1790年までハンティンドンシャー統監英語版を務めた[1]

息子に先立たれたため、1786年8月21日に娘エリザベスの息子への特別残余権(special remainder)つきでボートンのモンタギュー男爵に叙された[1]。そして、1790年5月23日に自宅で死去すると、モンタギュー公爵とモンザーマー侯爵の爵位は断絶、ボートンのモンタギュー男爵は娘エリザベスの息子ヘンリーが、カーディガン伯爵は弟ジェームズ英語版が継承した[1]。年収1万2千ポンドの価値がある地所は伯爵位とともに弟ジェームズが継承したが、それ以外の遺産は娘エリザベスが継承した[5]

家族

1730年7月7日、セント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールズ英語版メアリー・モンタギュー英語版(1711年頃 – 1775年5月1日、第2代モンタギュー公爵ジョン・モンタギューの娘)と結婚[1]、1男3女をもうけた[6]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 14–15.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). "Cowper, William, Earl Cowper". Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Oxford: University of Oxford. p. 179.
  3. ^ "Montagu; George (1712 - 1790); Duke of Montagu". Record (英語). The Royal Society. 2019年10月6日閲覧
  4. ^ "No. 10671". The London Gazette (英語). 25 October 1766. p. 2.
  5. ^ a b Chichester, Henry Manners (1894). "Montagu, George Brudenell" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 38. London: Smith, Elder & Co. pp. 248–249.
  6. ^ "Montagu, Duke of (GB, 1766 - 1790)". Cracroft's Peerage (英語). 2019年10月6日閲覧
司法職
先代
アンカスター=ケスティーヴァン公爵
巡回裁判官英語版
北トレント

1742年 – 1752年
次代
サマセット公爵
公職
先代
ノーサンバランド公爵
主馬頭英語版
1780年 – 1790年
次代
グラハム侯爵
名誉職
先代
セント・オールバンズ公爵
ウィンザー城管理長官及び総督英語版
1752年 – 1790年
次代
カーディガン伯爵英語版
先代
マンチェスター公爵
ハンティンドンシャー統監英語版
1789年 – 1790年
次代
グラハム侯爵
イングランドの爵位
先代
ジョージ・ブルーデネル
カーディガン伯爵
1732年 – 1790年
次代
ジェームズ・ブルーデネル英語版
グレートブリテンの爵位
爵位創設 モンタギュー公爵
1766年 – 1790年
断絶
ボートンのモンタギュー男爵
1786年 – 1790年
次代
ヘンリー・スコット



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