ジョン・カミン3世 (バデノッホ卿)とは? わかりやすく解説

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ジョン・カミン3世 (バデノッホ卿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 16:12 UTC 版)

バデノッホ卿ジョン・カミン3世(John Comyn III, Lord of Badenoch、1274年頃-1306年2月10日)は、スコットランドの有力貴族[1]バデノッホ英語版を領するバデノッホ卿英語版。「赤毛のジョン(John the Red)」の異名をとる[1]

経歴

暗殺されるカミン(アンリ・フェリックス・エマニュエル・フィリッポトー画)

バデノッホ卿ジョン・カミン2世英語版とその妻メアリー(スコットランド王となるジョン・ベイリャルの妹)の間の子として生まれる[2]

1296年ダンバーの戦い英語版で母方の伯父にあたるスコットランド王ジョン・ベイリャルのためにイングランド王エドワード1世と戦い、4月22日にはダンバー城英語版を奪取するのに貢献したが、4月28日の城の陥落の前日に捕虜となった[2][1]。1297年7月にはエドワードに仕えることを条件に釈放されたが、1298年にエドワード1世に反旗を翻した[2]

1298年7月22日フォルカークの戦いに騎兵隊を率いてウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍に参加したが、一戦も交えずに撤退したといわれる[3]。彼がウォレスを見捨てたという逸話の出典はジョン・オブ・フォーダン英語版(1363年頃)による[2]

フォルカークの戦い敗戦の責任をとってウォレスがスコットランド守護官英語版を退任した後にロバート・ブルースウィリアム・ド・ランバートン英語版とともにスコットランド守護官に就任した[2][1]

1303年2月26日ロスリンの戦い英語版でイングランド軍に対して勝利を収めたが、エドワード1世の報復で北部に追い詰められ、1304年2月9日には自らの領地を安堵されることを条件にエドワード1世に降伏した[2][1]

ロバート・ブルースとはスコットランド王位を争う関係にあったが、ロバートは対イングランド共同戦線について内密に相談したいとカミンに呼びかけ、1306年2月10日、カミンはダンフリーズグレイフライアーズ教会英語版でロバートと会見した[1][4]。ブルースとしては反イングランド闘争のためにカミンの支持を望んでいたが、カミンの同調が得られそうになかったために反乱計画が漏れるのを恐れたブルースによって教会内で殺害された。これによりブルースはエドワードに面従腹背する道がなくなり、逃亡するか、エドワードに反旗を翻すか二者択一となり、急速にスコットランド王位獲得へ向けた運動に傾斜していくことになる[5]

出典

  1. ^ a b c d e f 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 160.
  2. ^ a b c d e f Archer, T.A. (1887). "Comyn, John, the younger (d. 1306), of Badenoch" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 11. London: Smith, Elder & Co. {{cite encyclopedia}}: 引数|ref=harvは不正です。 (説明)
  3. ^ 今田洋 2006, p. 36.
  4. ^ 森護 1988, p. 120.
  5. ^ 青山吉信(編) 1991, p. 355-356.

参考文献

関連項目

公職
先代
ウィリアム・ウォレス
スコットランド守護官英語版
1298年–1304年
同職:
次代
ジョン・オブ・ブリタニー英語版
スコットランドの爵位
先代
ジョン・カミン2世英語版
バデノッホ卿英語版
1302年–1306年
次代
ジョン・カミン4世英語版
先代
ロバート・ド・ブルース6世英語版
(没収)
アナンデール卿英語版
1295年–1296年
次代
ロバート・ド・ブルース6世英語版
(回復)



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