ジャーミア・エトヘム・ベウトとは? わかりやすく解説

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ジャーミア・エトヘム・ベウト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 01:58 UTC 版)

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ジャーミア・エトヘム・ベウト
現地名 Xhamia e Et'hem Beut
日中のジャーミア・エトヘム・ベウト
所在地 アルバニアティラナ
建設 1823年

ジャーミア・エトヘム・ベウトアルバニア語: Xhamia e Et'hem Beut)とは、アルバニアティラナにあるモスクである[1]

歴史

建設は1789年にモッラ・ベイによって始まり、1823年にスレイマン・バルグジニの曾孫であるハッジ・エトヘム・ベイによって完成された。

無神論国家を唱えたアルバニア社会主義人民共和国の時代、このモスクは閉鎖されたが、1991年1月18日にこのモスクは政府の許可を得ず、1万人の人々が旗を掲揚し、崇拝の対象として復興したが、これに警察は介入しなかった[2]。この出来事はアルバニアに於ける信教の自由の復活の礎となった。建物には外壁のフレスコ画や木、滝、橋を描いた絵画等のイスラム芸術の作品が見られる。また、室内に入る時には靴を脱ぐ[3]

ギャラリー

参考文献

  1. ^ M. Cavendish, World and Its Peoples page 1629
  2. ^ Anthony Clunies Ross, Petar Sudar, Albania's economy in transition and turmoil, 1990-97, 1998, page 57
  3. ^ Europe on a shoestring By Sarah Johnstone Page 59 ([1])

座標: 北緯41度19分40秒 東経19度49分9秒 / 北緯41.32778度 東経19.81917度 / 41.32778; 19.81917



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