コナル・クレヴサネとは? わかりやすく解説

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コナル・クレヴサネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/05 08:11 UTC 版)

コナル・クレヴサネアイルランド語: Conall Cremthainne、480年没)、別名 Conall Err Breg はアイルランドの王。ニアル・マク・エヒダハ英語版(「九人の人質を取ったニアル」)の息子で、イー・ネール英語版王朝の祖の一人[1]

レンスターの書英語版』が収める王のリストによれば、彼はイー・ネール出身者としては初めてのウシュネフ王英語版である[2]。 彼はクレヴサネという副名によって、同名の兄弟であるコナル・グルヴァン英語版と区別されている。 兄弟に同じ名前が与えられることは奇妙にも思えるが、アイルランドでは多くの子を儲けた王によって慣例的に行われ、16世紀までは普通の事であった[3]。 この副名は、おそらく彼がアルギアラ英語版 のイー・フレヴサン(Uí Chremthainn)族に里子に出された事を意味している。

ティーレハーン英語版による聖パトリックの聖人伝によれば、パトリックはタルティウ英語版の集会においてコナル・クレヴサネを祝福したが、コナルの兄弟でありケネール・ゴルブリ英語版の祖であるコルブレ・マク・ネール英語版についてはこれを拒んだ[4]。パトリックがこのようにニアルの子らに対し異なる態度を示した事はおそらくは史実に基づくものではなく、後世に権勢を得た氏族がパトリックを利用して祖を称揚することで自身の正当性を主張した、一種のプロパガンダであると考えられる[5]

コナル・クレヴサネの死について、年代記にはその没年以上の情報は記されていない[6]

コナル・クレヴサネとその息子フェルグス・ケルベール(Fergus Cerrbél)はクラン・ホルマーン英語版シール・ナイド・スラーネの祖となった。また、もう一人の息子である Ardgal mac Conaill (520年没)はミース県の Cenél nArdgail の祖となった。

出典

  1. ^ Francis J.Byrne, Irish Kings and High-Kings, Table 1
  2. ^ Book of Leinster,Rig Uisnig
  3. ^ Byrne, Irish Kings, p. 90.
  4. ^ T.M. Charles-Edwards, Early Christian Ireland, pg.445-446
  5. ^ 『オックスフォードブリテン諸島の歴史2』 pp.153f
  6. ^ Annals of Ulster AU 480.1

参考文献




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