エリザベス・オブ・ヨーク (サフォーク公妃)とは? わかりやすく解説

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エリザベス・オブ・ヨーク (サフォーク公妃)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/17 07:47 UTC 版)

エリザベス・オブ・ヨーク
Elizabeth of York

称号 サフォーク公妃
出生 (1444-04-22) 1444年4月22日
フランス王国ノルマンディールーアン
死去 1503年1月以降
イングランド王国サフォーク、ウィングフィールド城
埋葬 イングランド王国サフォーク、ウィングフィールド、セント・アンドリュース教会
配偶者 2代サフォーク公ジョン・ド・ラ・ポール
子女 本文参照
家名 ヨーク家
父親 3代ヨーク公リチャード・プランタジネット
母親 セシリー・ネヴィル
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エリザベス・オブ・ヨーク(Elizabeth of York, 1444年4月22日 - 1503年1月以降)は、3代ヨーク公リチャード・プランタジネットセシリー・ネヴィルの第6子、三女である[1]エドワード4世の妹、リチャード3世の姉にあたる[1]

生涯

1458年2月以前に、エリザベスはジョン・ド・ラ・ポールと結婚した[1]。ジョンは初代サフォーク公ウィリアム・ド・ラ・ポールとアリス・チョーサーの長男であった[2]。また、母方の祖父母は、トマス・チョーサーとモード・バーガーシュである[3]

義父初代サフォーク公ウィリアムは、1447年から1450年まで、イングランド王ヘンリー6世の影の実力者として仕えていた[4]。サフォーク公ウィリアムがこの立場にいた3年間である百年戦争の終盤に、北フランスのイングランド領土はほぼ完全に失われ、義父サフォーク公は失敗の責任を負わざるを得なかった。サフォーク公ウィリアムはロンドン塔に投獄され、私権を剥奪された。その結果、夫となるジョンは1450年5月2日に父が処刑された時点ではサフォーク公位を継承していなかった。

エリザベスの兄であるイングランド王エドワード4世は、1463年に義兄ジョンにサフォーク公の称号を返還し、エリザベスは1491年または1492年に夫ジョンが亡くなるまでサフォーク公爵夫人であり続けた[4]。公爵夫妻はサフォークのウィングフィールドに居を構えた。

エリザベスは夫の死後10年間は生存していた。エリザベスが最後に記録されているのは1503年1月である。またエリザベスがすでに死去していたことが1504年5月の記録で確認される。エリザベスはサフォークのウィングフィールドの教会に埋葬されている。

子女

2代サフォーク公ジョン・ド・ラ・ポールとの間に以下の子女がいる。

  • ジョン(1462年頃 - 1487年6月16日) - リンカーン伯
  • ジェフリー(1464年生) - 聖職者
  • エドワード(1466年 - 1485年) - リッチモンドの助祭長
  • エリザベス(1468年頃 - 1489年) - 8代モーリー男爵ヘンリー・ラヴェル(1466年 - 1489年)と結婚
  • エドムンド(1471年/1472年 - 1513年4月30日) - 第3代サフォーク公、ヘンリー8世に斬首される[5]
  • ドロシー(1472年生) - 早世
  • ハンフリー(1474年 - 1513年) - 聖職者
  • アン(1476年 - 1501年) - 7代シオン女子修道院長[6]
  • キャサリン(1477年頃 - 1513年) - 5代ストートン男爵ウィリアムと結婚
  • ウィリアム(1478年 - 1539年) - ウィンフィールドの騎士
  • リチャード(1480年 - 1525年2月24日) - 反逆を試みる。後にパヴィアの戦いで戦死。

参考文献

  1. ^ a b c Halsted, Caroline A. Richard III, as Duke of Gloucester and King of England. Philadelphia: Carey and Hart, 1844. 37.
  2. ^ Clutterbuck, Rev. Robert Hawley. Notes on the Parishes of Fyfield, Kimpton, Penton Mewsey, Weyhill and Wherwell in the County of Hampshire. Salisbury, UK: Bennett Brothers, 1898. 101.
  3. ^ Weir, Alison. Mistress of the Monarchy: The Life of Katherine of Swynford, Duchess of Lancaster. New York: Ballantine, 2009. 296.
  4. ^ a b Wagner, John A. Encyclopedia of the Wars of the Roses. Santa Barbara, CA: ABC-CLIO, 2001. 210-211.
  5. ^ Spaltro, Kathleen & Bridge, Noeline. Royals of England: A Guide for Readers, Travelers, and Genealogists. Lincoln, NE: iUniverse, 2005. 138.
  6. ^ Condon, Margaret M. (2022). “Princess and Nun: Bridget (1480-c. 1507), the youngest daughter of Edward IV”. The Ricardian 32.  p. 117.



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