ウィリアム・シンジョン_(第9代ブレッツォのシンジョン男爵)とは? わかりやすく解説

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ウィリアム・シンジョン (第9代ブレッツォのシンジョン男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 00:52 UTC 版)

第9代ブレッツォのシンジョン男爵ウィリアム・シンジョン英語: William St John, 9th Baron St John of Bletso1689年[1]1720年10月11日)は、イングランド貴族

生涯

第2代準男爵サー・セント・アンドリュー・シンジョンの四男として生まれた[2]。1709年7月5日、ケンブリッジ大学ジーザス・カレッジに入学、1713年にM.A.の学位を修得した[3]

第3代ボリングブルック伯爵ポーレット・シンジョン(1711年没)の相続人に指定されたが、ホイッグ党所属のボリングブルック伯爵と違い、ウィリアム・シンジョンはトーリー党に所属した[1]

1714年5月10日に兄セント・アンドリューの息子ポーレット・セント・アンドリューが死去すると、ブレッツォのシンジョン男爵位を継承した[2]。同年5月27日、貴族院にはじめて登院したが、1717年7月1日を最後に登院しなくなった[1]アン女王の死後に行われた1715年イギリス総選挙ではベッドフォードシャー選挙区英語版で選挙活動をしたが、トーリー党の候補は2名とも落選した[1]

1720年10月11日に生涯未婚のままノーサンプトンシャーウッドフォード英語版で死去、ベッドフォードシャーブレッツォ英語版で埋葬された[2]。弟ローランドが爵位を継承した[2]

出典

  1. ^ a b c d Eagles, Robin (2016). "ST JOHN, William (c. 1689–1720)". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 4. Cambridge University Press. p. 302. ISBN 9781107175259
  2. ^ a b c d Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. p. 337.
  3. ^ "William ST JOHN (ST709W)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
イングランドの爵位
先代
ポーレット・セント・アンドリュー・シンジョン
ブレッツォのシンジョン男爵
1714年 – 1720年
次代
ローランド・シンジョン



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