アントン・ヒッケル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:05 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動アントン・ヒッケル Anton Hickel |
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ヒッケル作「イギリス庶民院で演説を行うウィリアム・ピット(1793/1784)」
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生誕 | 1745年 ハプスブルク帝国、チェスカー・リーパ |
死没 | 1798年10月30日 ハンブルク |
カール・アントン・ヒッケル(Karl Anton Hickel、1745年 - 1798年10月30日)はボヘミア生まれの肖像画家である。ヨーゼフ2世の宮廷画家を務めた。
略歴
現在のチェコ、リベレツ州のチェスカー・リーパ(Česká Lípa,)で画家の息子に生まれた[1]。兄のヨーゼフ・ヒッケル(Joseph Hickel: 1736-1807)も肖像画家で、マリア・テレジアの支援を受けるなどした画家である。
アントン・ヒッケルはウィーン美術アカデミーで学んだ後、1779年からヨーロッパ各地で修行をした。ミュンヘンにはしばらく滞在し、バイエルン選帝侯、カール・テオドールの肖像画を描いた。南ドイツ、スイス。マンハイムやマインツで働いた。神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の宮廷画家に任じられ、1786年にはヨーゼフ2世の妹にあたるフランス王妃、マリー・アントワネットの肖像画を描くためにフランスに旅した。パリとロンドンにもしばらく滞在し、ロンドンでは多くの政治家の肖像画を描いた。1797年からハンブルクに住み、ハンブルクで没した[2]。
作品
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ロクセラーナとスルタン
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マリー・アントワネット(Simon Malgoによる模写)
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チャールズ・ジェームズ・フォックス -政治家
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ウィリアム・ウィルバーフォース -政治家
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ジークムント・フロイデンベルガー -画家
脚注
参考文献
- WURZBACH, Constantin von. Hickel, Anton. In: Biographisches Lexikon des Kaiserthums Oesterreich. 9. Theil. Wien: Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei, 1863. Dostupné online. S. 2 f. (německy)
- POPELKA, Liselotte. Hickel, Anton. In: Neue Deutsche Biographie. Band 9. Berlin: Duncker & Humblot, 1972. Dostupné online. ISBN 3428001907. S. 105. (německy)
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