アレッサンドロ・カローリとは? わかりやすく解説

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アレッサンドロ・カローリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 13:53 UTC 版)

アレッサンドロ・カローリ
名前
ラテン文字 Alessandro Calori
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1966-08-29) 1966年8月29日(56歳)
出身地 アレッツォ
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985–1989 モンテヴァルキ 78 (3)
1989–1991 ピサ 61 (1)
1991–1999 ウディネーゼ 255 (10)
1999–2000 ペルージャ 33 (5)
2000–2002 ブレシア 63 (1)
2002–2004 ヴェネツィア 58 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレッサンドロ・カローリ(Alessandro Calori、1966年8月29日 - )は、イタリアアレッツォ出身の元サッカー選手で指導者。現役時代は、強靭なフィジカルとパワーを武器に活躍した、189cmの大型センターバックであった[1]

経歴

アレッツォのユースで育った[1]

1991-92シーズンからの7シーズンをウディネーゼでレギュラーとしてプレー、キャプテンも務めていた[1]。1996-97シーズンにはリーグ第5位、1997-98シーズンにはリーグ第3位などの好成績を収め、UEFAカップ出場に貢献していた[1]。クラブ通算では286試合に出場した[2]

ペルージャでプレーしていた1999-00シーズン、ラツィオユヴェントスは優勝を争っていたが、5月14日のユヴェントス戦ではカローリのゴールでペルージャが勝利、この結果ラツィオの優勝が決まった[1]。このことから20年以上の時を経てもラツィオファンから親しみを持たれているという[1]

2000-01シーズン開幕後にブレシアに加入し、ロベルト・バッジョペップ・グアルディオラらと2シーズンプレーした後[1]、2002年に当時セリエBのヴェネツィアに移籍、2シーズン過ごした2004年に引退した。引退後はブレシア、ノヴァーラパドヴァなどで監督を務めた。

脚注

  1. ^ a b c d e f g Calori oltre il goal alla Juve: dal Pisa di Anconetani alla panchina”. GOAL (2023年5月14日). 2023年7月24日閲覧。
  2. ^ Alessandro Calori”. Transfermarkt. 2023年7月24日閲覧。





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