アリ・パシャ・モスクとは? わかりやすく解説

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アリ・パシャ・モスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 01:48 UTC 版)

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アリ・パシャ・モスク

アリ・パシャ・モスクボスニア語:Alipašina džamija)は、1560年から1561年にかけて、オスマン帝国のブダペスト地区の統治者(ベグレルベグ)、ルメリア州英語版(後にボスニア州英語版、1580–1867)の知事(パシャルク)であったハディム・アリ・パシャの遺産(vakuf)としてボスニアサラエヴォに建てられたモスクである。今日のボスニア・ヘルツェゴビナサラエヴォ県ツェンタルにある。

モスクはイスタンブールの典型的な建築に倣って建てられている。中央の大きいドーム型の天井は礼拝の場を覆い、小さい3つのドームは回廊の上を覆っている。建物の枠組みには、2つのドーム型の墓地があり、それぞれ、1915年にアラドで死去した2人のガイレット活動家アヴド・スンブル(Avdo Sumbul)とベフジェト・ムテヴェリッチ(Behdžet Mutevelić)の石棺である。

アリ・パシャ・モスクは1990年代ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中、セルビア人勢力によるサラエヴォ包囲によって激しく損壊した[1]。モスクの復興は段階的に続けられており、国立記念物保存委員会はアリ・パシャ・モスクをボスニア・ヘルツェゴビナの国家的記念物に加えることを決定した[2]

脚注

  1. ^ State Commission for Gathering Facts on War Crimes in the Republic of Bosnia and Herzogovina, Bulletin no. 1, Sarajevo, October 1992
  2. ^ Bosna i Hercegovina Komisija/Povjerenstvo za Ocuvange Nacionalnih Spomenika, January 2005

座標: 北緯43度51分28.5秒 東経18度24分45.5秒 / 北緯43.857917度 東経18.412639度 / 43.857917; 18.412639



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