アデール・ド・ヴァンドーム=アンジューとは? わかりやすく解説

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アデール・ド・ヴァンドーム=アンジュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/06 05:25 UTC 版)

アデール・ド・ヴァンドーム=アンジュー
Adèle de Vendôme-Anjou
ヴァンドーム女伯
在位 1028年 - 1032年

出生 990年
死去 1033/35年
配偶者 ボドン・ド・ヌヴェール
子女 ブシャール2世ル=ショーヴ
フルク・ド・ヌヴェール
家名 アンジェルジェ家
父親 アンジュー伯フルク3世
母親 エリザベート・ド・ヴァンドーム
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アデール・ド・ヴァンドーム=アンジューフランス語:Adèle de Vendôme-Anjou、990年頃 - 1033/35年)は、アンジュー伯フルク3世ネラが初婚の妻エリザベート・ド・ヴァンドームとの間にもうけた唯一の娘。フルク3世の子女達の中では第1子長女に当たる。 ヌヴェール家に嫁ぎ、ヴァンドーム伯領をもたらした。アデールはヌヴェール伯ルノー1世の弟、ボドン・ド・ヌヴェールと結婚した。

生涯

夫ボドンはアデールと結婚した恩恵で1017年、アデールの外おじにあたるルノー司教が死去した際、相続権を得てヴァンドーム女伯となった。

ボドンは1023年にアデールと3人の遺児を残して亡くなり、急遽まだ幼少であった長男のブシャール2世ル=ショーヴがヴァンドーム伯位を継承した。しかし、実質的にヴァンドームを統治し、摂政となったのはアデールの実父アンジュー伯フルク3世ネラであった。

しかし、1028年 にブシャール2世が巡礼中に18歳ほどで死去し、アデールはヴァンドーム伯領を次男のフルク・ロワソンと半々で分割相続し、共同統治していたが、フルク・ロワソンはヴァンドーム伯領全土を自分1人で統治できないことに不満を抱いており、アデールはフルクにヴァンドーム伯領を追放されそうになった。

その際、アデールは自らヴァンドーム伯領半分の統治権を放棄し、異母弟アンジュー伯ジョフロワ2世マルテルに相続させた。

そのすぐ後、フルク・ロワソンは攻め込んできたジョフロワ2世に敗れ、1032年にはジョフロワ2世がヴァンドーム全土を占領した。

参考文献

先代
ブシャール2世
ヴァンドーム女伯
1028年 - 1032年
フルクと共治)
次代
ジョフロワ1世



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