アデル・ロマニーとは? わかりやすく解説

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アデル・ロマニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/02 02:17 UTC 版)

アデル・ロマニー
Adèle Romany
アデル・ロマニーの自画像またはR=A・デュクルーの自画像とされる作品(1799)
生誕 (1769-12-07) 1769年12月7日
フランス、パリ
死没 1846年6月6日(1846-06-06)(76歳没)
フランス、パリ
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アデル・ロマニー(Adèle Romany、1769年12月7日 - 1846年6月6日[1])は、フランスの画家である。ロマンス侯爵の婚外子としてジャンヌ・マリー・メルシエ(Jeanne Marie Mercier)として生まれ[2]、父親の認知を受けて、アデル・ド・ロマンス(Adèle de Romance)の名前でも活動した。ミニアチュール画家のフランソワ・アントワーヌ・ロマニーと結婚し、ロマニーやロマネー(Romanée)の姓でも活動した。ナポレオンの帝政の時代に人気のある肖像画家となった。

略歴

パリでジャンヌ・マリー・メルシエという女性とリエージュのロマンス家の貴族で軍人のゴドフロワ・ド・ロマンス(Godefroy de Romance: 1744-1828)の婚外子に生まれた。9歳の時に父親の認知を受け、画家としてアデル・ド・ロマンスの名前で作品を発表することもあったが、フランス革命で父親は1789年に国外に亡命した[3]

ジャン=バプティスト・ルニョー(1754-1829)の妻が運営した女性のための美術学校で学び、1793年からパリのサロンに作品を出展した。1788年にミニアチュール画家のフランソワ・アントワーヌ・ロマニー(Francois Antoine Romany: 1756-1839)との間に婚外子をもうけ、1790年に結婚したが1891年に離婚している。1793年から1808年までは「Adèle Romany」の名でサロンに出展し、1808年から1833年までは「Adèle Romanée」の名前で作品を発表した。1808年にサロンでメダルを受賞し[4][5]、ナポレオンンの帝政の時代には人気のある肖像画家であった。

王政復古の後、父親のゴドフロワ・ド・ロマンスは帰国しルイ18世から元帥の称号を得た[3]

1846年にパリで亡くなった[5]

作品

参考文献

  1. ^ Archives de Paris [archive] Acte de décès reconstitué dressé le 08/06/1846, vue 34 / 51
  2. ^ Adèle Romany sur le site de Christie's
  3. ^ a b Godefroy de Romance(1744-1828) - Visite Ardennes、2025年4月13日閲覧
  4. ^ Coman, Sonia (2018). “A Community of Women Artists and Actresses at the End of the Ancien Régime: The Portrait of Madame Thénard mère in Hermione by Adèle Romany”. S&F Online 15 (1). 
  5. ^ a b Benezit Dictionary of Artists, 2011. Oxford: Oxford University Press. (2011). ISBN 978-0-19-989991-3 



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