『ラスト・ワルツ』以降
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「リチャード・マニュエル」の記事における「『ラスト・ワルツ』以降」の解説
1983年には、ロビー抜きで再結成するも昔日の面影は無かった。リチャードはますます酒と薬に溺れるようになる。リヴォンは友人だった名マネージャー、アルバート・グロスマンの死に衝撃をうけてから止めていた酒と薬に再び手を出したと証言している。 1986年3月4日、フロリダ州ウインター・パークにあるモーテルの一室で首をつり自殺。生前にソロ・アルバムを残すことはなかった。死後、1985年のライブの模様を収録したライブ盤が発表されている。
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