阿部典史 人物

阿部典史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 05:57 UTC 版)

人物

スタートに秀で、WGP時代には予選10位台から1コーナーをクリアした時にはトップ集団に食い込んでいることも多かった。前輪に荷重させた独特のライディングスタイルはマイケル・ドゥーハンに「最も才能に恵まれているが最もリスキー」と言わしめた[要出典]

全日本時代から長髪をトレードマークとしていた。ヘルメットからはみ出るその髪を日本のモータースポーツ関係者から「転倒時の危機管理意識が低い」と批判され[要出典]一度短く切ったことがあるが、外国人中心のチーム関係者からは「らしくない」とからかわれ、再び伸ばしたことがある。2001年頃に今までより髪を短く切り、ワックスでスタイリングをするようになったが、これは本人の好みの変化によるもの。

また、予選でのクラッシュが原因で決勝に出れなかったことが2回しか無いが、その2回が自身がYZRに初めて乗った94年のイギリスGPとYZR-M1に初めて乗った02年オーストラリアGPのみである。

二輪レーサーだが四輪車にも興味、造詣があり、レース以外の夢、目標は高級外車に乗るというものだった。18歳となり自動車免許を取得した後、高級外車に乗るという夢を叶えるためポルシェのディーラーを訪れたが、ポロシャツにブカブカのズボンというラフな恰好を見た店員から冷やかしと思われ、連絡先だけ書かされて門前払いされてしまった(本人曰く「年俸は億だった」との事で、ポルシェを即金で買うだけの資産を既に持っていた)。「ポルシェって買うのが難しいです。『ショールームにあるのでいいから売ってください、支払いはキャッシュ』って伝えたら、納車まで時間かかるからって、全然相手にされなかった」と、店員から相手にされず落ち込んでいたが、程なくして連絡先に書かれた名前を見てあの阿部典史と気付いた別の店員から連絡を受け、ポルシェ・カレラの購入に成功した。

愛車には前述した911・カレラ以外にも360 チャレンジ・ストラダーレ、欧州ではアウディ・RS4アバントを所有していたが、フェラーリは親交のあった伊藤真一が現在は所有している。

海外を転戦する忙しい日々の中、日本滞在時は愛車の運転を楽しんでいた。95年の日本グランプリ前に車間距離不十分で警察に止められた時は19歳でポルシェに乗っていた事もあって職業を怪しまれ、阿部は素直に「バイクのレーサー」と答えたが、警官は阿部典史を知らなかったため「有名なの?」と言われてしまった。それならレースに興味を持って貰おうと自分の所属するチームに付いても説明、PRをしたが、レースに対しても全く興味を示さなかった。

福山雅治は阿部のファンだったということから、交流があったとのこと。[1]

ヘルメットのデザインは全日本時代からノリックが好きな星と翼をモチーフにしたデザインとなっている。


  1. ^ 佐藤洋美 (2023年9月14日). “「阿部ちゃんとの時間は最高だった」幼馴染・竹本さん”. Webikeプラス. 2024年1月27日閲覧。


「阿部典史」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「阿部典史」の関連用語

阿部典史のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



阿部典史のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの阿部典史 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS