金瓶梅 水滸伝との関係

金瓶梅

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水滸伝との関係

『金瓶梅』の第一回から第六回は『水滸伝』のストーリーをなぞっており、その部分は『水滸伝』の文章が同じようにつかわれている。しかし、第二回の潘金蓮と西門慶の最初の出会いを描いた場面で、潘金連の様子を描写する駢語は『水滸伝』で楊雄の妻の潘巧雲の様子を描写する駢語を使用している。『水滸伝』で潘金連の様子を表す駢語は第二十五回の武松が潘金連に会った場面で出てくるが、これは『金瓶梅』の第九回で潘金連が西門慶の家に嫁入りした後の場面で使われている。『水滸伝』での最初の出会いは潘金連を単に艶やかな女としているだけだが、作者はおそらくそれだけでは不十分だと考え、『水滸伝』から艶やかな女性を表す駢語を引用してきたのであろう[59]

一般に駢語というのは人物の容姿、風景や情景を記述する際に用いられ、その表現は類型的である。厳密に言えば、『金瓶梅』で『水滸伝』と同じような駢語が使用されているからと言って、作者が本当に『水滸伝』の駢語を考えていたのかは分からないとは言える。しかし、似たような駢語がさらに別の小説で使われている例を比較すると、やはり作者は『水滸伝』の駢語を見て『金瓶梅』に使用したことがわかる[60]。引用されている文章から、『金瓶梅』の作者が使った『水滸伝』は万暦17年(1589年)天都外臣の序のついている百回本に近い現存しない版であると推定されている[61] 。『金瓶梅』の作者が読んだであろう古い版の『水滸伝』は駢語の多い小説であったらしい[62]

現在認められる共通の駢語を検討すると、同じような状況を表すために『水滸伝』の駢語を使用している[注 31] だけでなく、『水滸伝』で宋江らが都に入城してくる様子を表した駢語の冒頭部分が『金瓶梅』で李瓶児の出棺の行列を表す駢語の冒頭に使われているというような意表を突いた使われ方もしている。前述の通り『金瓶梅』は読書人を読者として想定しているらしく、このような意表をついた使い方に読者が機智と滑稽味を認めたことは十分に考えられることである[63] 。このような手法は他の白話小説には見られない『金瓶梅』独特の特殊な手法である[63]

改訂版の崇禎本・第一奇書本では、『水滸伝』から独立した小説であるようにしようとした意図が見られる[64] 。前述のとおり、第一回の武松の虎退治のエピソードや、第八十四回の呉月娘が宋江に救われる場面は省かれている。駢語の類が多く削られているので、『水滸伝』由来の駢語もほとんど残っていない。

『水滸伝』を含む白話小説で描かれるのは男の世界であり、男同士の紐帯が重要なテーマになっており、女性に対しては嫌悪の目を向けているともいえる。しかし『金瓶梅』の作者は、作者自身が男性であるらしいにもかかわらず、このような男同士の絆に冷めた視線を向け、さらに崇禎本の改定者は第一回に西門慶とその仲間たちの義兄弟の契りを描くことでその方向をより推し進めている[64]


注釈

  1. ^ 原文では「炊餅」。これを「蒸し餅」と訳すのは岩波文庫の『金瓶梅』(小野忍・千田九一訳)に倣った。
  2. ^ 元の時代の戯曲『趙氏孤児』で屠岸賈が犬を襲わせて趙盾を殺す方法と同じ。
  3. ^ 西門慶が別の地で生まれ変わることが分かったすぐ後に、孝哥は西門慶の生まれ変わりであると書かれている。話が全く矛盾しているが、日下は、西門慶という人物は『水滸伝』の登場人物である西門慶としての側面と作者自身の投影である側面があり、それぞれの側面ごとに別の結末ができてしまったのであろうとしている[1]
  4. ^ 呉月娘と孟玉楼(西門慶の第4夫人)が人生を幸せに終えたことを言っている。
  5. ^ 李瓶児と春梅のこと。
  6. ^ 当時の女性美の要素のひとつが足の小ささであった。『金瓶梅』第二十二回にも、西門慶の愛人の一人が潘金蓮より足が小さいことを自慢する場面がある。
  7. ^ 武大の前妻との娘の迎児という子供が出てくるが、これは『水滸伝』にはない設定。作者は潘金連を自分で水仕事をするような階層の女性とはしたくなかったので、わざわざ下働きの役に迎児を登場させたのかもしれない[3]。例えば、孟玉楼と李瓶児は西門慶との結婚前の様子が描かれているが、彼女らはお金持ちの家柄で結婚前には身の回りの世話をするばあやがいた。
  8. ^ ただし、これは西門家に来てストーリーの本流にのってきてからの話で、西門家に来る前は夫のある身で西門慶を誘って会いに来させるなど、とても上品とは言えない振る舞いをしている。
  9. ^ 一般的な話として、正妻は第二以下の夫人とは格が違う。家庭内の日常的な管理については夫とほとんど同等の権威をもつ[4]
  10. ^ 時には喧嘩もするが、西門慶は「( 呉月娘は)なかなかいいたちですよ。でなければ、とてもあんなに大勢の人間を手もとにおいておけるもんじゃありません。」と評価し(第十六回)、しばしば西門慶にアドバイスを与えたりもする。
  11. ^ 「第七十九回」で西門慶が死に、そのすぐ後の「第八十回」で身の回りのものを持ち出しはじめ、それがばれて西門家から出される。なお、身の回りのものといえどもすべては西門家の所有物であり、西門慶の亡き後は正妻の呉月娘が認めない限り勝手に持ち出すことはできない。
  12. ^ 第十四回で、李瓶児が西門家に客として訪問した際、孫雪娥の身なりが他の4人より粗末で、西門慶の妻の一人とは気が付かなかったという場面がある。
  13. ^ 話本とはもともとは講釈師の台本のことである。
  14. ^ ただし、『金瓶梅』以前の如意君伝の版は現存しない[12]
  15. ^ 当時の白話小説によく出てくるの一定の句形を持つ段落のこと。例えば、「(金蓮の)そのいでたち、いかにといえば、」の後で改行し、1字下げた段落で『黒地に金をぬいとった、つけ髷(まげ)頭にいただいて、…』(第二回。訳文は小野・千田による)という風に地の文と区別されている部分。
  16. ^ 文言小説とは、代以後の中国小説史の上で、大きな比重を占めてはいなかったために、形態名が与えられていなかったこの分野に対し、前野直彬が仮に付けた呼称である[13]
  17. ^ 例えば、『金瓶梅 第1巻』村上知行編訳、ちくま文庫(新版)、2000年、巻末解説を参照。
  18. ^ 例えば、魯迅がそういう説があることを述べている[20]
  19. ^ 徐朔方「《金瓶梅》的写定者是李開先」『杭州大学学報(社会学版)』1980年、等[23]。李開先も山東省の人であるとされている。
  20. ^ 黄霖「《金瓶梅》作者屠隆考」『復旦学報(社会科学版)』1983年、等[23]
  21. ^ 「金瓶梅従何得来、伏枕略軌、雲霞満紙、勝於枚乗七発多矣。後段在何処、抄意当於何処倒換、幸一的示。」 『金瓶梅資料匪録』方銘編、黄山書社、 1986年一原載『袁宏道集箋校』上海古籍出版社、 1981年[29]。太字強調は引用者による。
  22. ^ 「呉友馮猶龍見之驚喜、慫恿書坊以重價購刻。馬仲良時権呉関、亦勧余応梓人之求、可以療飢。余白・・「此等書必遂有人板行、但一出則家伝戸到、壊人心術。他日閻羅究詰始禍、何詞以対?吾豈以刀愽泥犁哉。」仲良大以為然。遂固篋之。未幾時而呉中懸之国門矣。」」『万暦野獲編』第二十五巻[34]
  23. ^ 例えば、平子は1902年の雑誌『新小説』第8号の「小説業話」の中で「作者が尽きることない怨恨、限りない深痛を抱いて、暗黒の時代にいたが、言葉に出来ず、吐き出すこともならず、小説を借りて叫ぶしかなかった。当時の社会状況の描写からその一斑をみられる。」として、『金瓶梅』は決して淫書ではなく社会小説であるとしている[36]
  24. ^ 『仏頂心陀羅尼経』では写経の功徳が強調されており、それは私財を投じて人に写経させることも含む。写経は宋代になると手で写すだけでなく木版印刷で写され始めるようになる[47]。『金瓶梅』に描かれるのはさらに元を経た後の明の時代。
  25. ^ 尼といっても、ここに出てくる尼は宗教家ないし修行者ではなく、読経や呪いを請負い、ポン引きまがいのことまで手掛ける非常に世俗的な存在である。
  26. ^ 小野によれば「万暦45年以降」だという[50]
  27. ^ 劉邦亡き後、皇后(大后)の呂氏は戚氏を動けないように片輪させた上トイレに閉じ込め、「人豚」と呼ばせた(当時、排泄物を処理するために豚がトイレに飼われていた)。
  28. ^ 潘金蓮も正妻ではない。
  29. ^ 日下の説[57]。西門慶については「極悪人というほどの“極悪”さが感じられないので、改訂者は“悪人”の印象を強めようとしたのではないか」としている。
  30. ^ 「然原本貴少五十三回至五十七回,遍寛不得,有晒儒補以入刻,無論膚浅都便,時作呉語,即前後血脈,亦絶不貫串,一見知其贋作臭。」
  31. ^ 例えば、『水滸伝』で宋江が閻婆惜を殺した状況を描写する駢語が、『金瓶梅』で武松が潘金連を殺す状況に使用されている。

出典

  1. ^ 6、1995年、pp.163-165。
  2. ^  蘭陵笑笑生 (中国語), 金瓶梅/第100回, ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ 日下、1996年、pp.42-43
  4. ^ 藤原他、p.116
  5. ^ 張竹坡: 田中訳、p102
  6. ^ a b 井波律子『中国の五大小説 下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年)、『金瓶梅』の巻 p124-127
  7. ^ 荒木、1990年、p.2
  8. ^ 日下、1995年、pp.34-35
  9. ^ 井波律子『中国の五大小説.下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年) p188-190
  10. ^ a b ハナン:荒木訳、1994年、p.22
  11. ^ 荒木、1990年、pp.3-10
  12. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.39
  13. ^ 平凡社 中国古典文学大系 42 『閲微草堂筆記 ; 子不語 ; 述異記 ; 秋燈叢話 ; 諧鐸 ; 耳食録』 1971年 。ISBN 978-4582312423 。解説 p.503 。
  14. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.41
  15. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.55
  16. ^ 日下、1996年、pp.6-17
  17. ^ 日下、1996年、pp.27-28
  18. ^ 日下、2001年、p.247
  19. ^ 日下、1996年、pp.144-145
  20. ^ 丸尾、p.128
  21. ^ 『「金瓶梅」中的上海方言研究』,褚半農,2005年,上海古籍出版社
  22. ^ 日下、1996年、pp.36-39
  23. ^ a b 荒木、1990年
  24. ^ a b c 荒木、1990年、p.23
  25. ^ 戸田 2002年、pp.54-55
  26. ^ a b 戸田 2002年、pp.67-68
  27. ^ 日下、1995年、p.34
  28. ^ 日下、1996年、pp.170-173
  29. ^ 戸田、2002年、p.70
  30. ^ 戸田、2002年、p.67
  31. ^ 顧、pp.87-90
  32. ^ 小野・千田、pp.296-297
  33. ^ 味水軒日記(小野・千田、pp.284-285)
  34. ^ 顧、p.98
  35. ^ 森岡、p.7
  36. ^ 森岡、p.8
  37. ^ a b 川島、2010年、p.6
  38. ^ 川島、2010年、p.8
  39. ^ 川島、2010年、pp.12-16
  40. ^ 川島、2010年、p.18
  41. ^ 川島、2011年、p.43
  42. ^ 滝沢馬琴「新編金瓶梅」序文
  43. ^ 川島、2011年、p.54
  44. ^ 天保三年十一月二十六日篠斎宛書簡
  45. ^ 日下、1996年、pp.229-230
  46. ^ 野沢、p.28
  47. ^ 福田、p.8
  48. ^ 野沢、p.17
  49. ^ 福田、p.10
  50. ^ 小野、千田、pp.284-285
  51. ^ 川島、p.5
  52. ^ 小野、千田、pp.278-279
  53. ^ 戸田 2009年、pp.62-65
  54. ^ 戸田 2002年、p.63
  55. ^ 戸田 2002年、p.66
  56. ^ 小野、千田、p.279
  57. ^ 日下、1996年、pp.168-169
  58. ^ 大村、p.193
  59. ^ 荒木、1995年、p.23
  60. ^ 荒木、1995年、pp.24-25
  61. ^ ハナン: 荒木訳、1964年、p.24
  62. ^ 荒木、1995年、p.34
  63. ^ a b 荒木、1995年、p.33
  64. ^ a b 大村、p.194






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