マーカス・モートン 州知事

マーカス・モートン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 09:59 UTC 版)

州知事

1839年の州知事選挙で、関連の無い問題が出てきて、モートンに勝利をもたらすことになった。ホイッグ党の支配する議会が、禁酒運動家の提案した法案を通した。それは15USガロン (57 リットル) 未満のアルコール販売を禁止するものであり、実質的にバーでのサービスを違法にした。この法はホイッグ党の階級的エリート主義の例だと見る者が多かった[44]。選挙は接戦となり、数え直しが行われ、投票箱が注意深く精査された。モートンの得票と数えられたものの中に「マッカス・マットン」("Maccus Mattoon")と書かれたものがあった。ホイッグ党はそれを無効にしようとしたが、州内でそのような名前を持つ者はいなかった[45]。エヴァレットはその投票に異議を申し立てることを寛大に拒否し、モートンは51,304票を獲得して、総投票数の正確に半数となり、エヴァレットは50,725票、その他307票という結果になった[46]

ジョージ・N・ブリッグス、1843年の州知事選挙でモートンを破った

ホイッグ党が支配する敵対的な州議会に対して、モートンの改革案は進まなかった[47]。人頭税や死刑の数の減少などの提案は採用されなかったが、民主党は財政規律を導入でき、その時代では久しぶりとなる歳入超過を達成した[48]。ホイッグ党はモートンの提案をお粗末な経済政策だと攻撃し、1840年には政界を再編してモートンを破ろうとした[49]。ホイッグ党はジョン・デイビスを説得し、アメリカ合衆国上院議員から復帰して州知事選挙に出馬させ、大差でモートンを破った。1841年の選挙では、モートンが幾らか勢力を取り戻した[50][51]。1842年、結成されたばかりの奴隷制度廃止を唱える自由党の候補者は、州議会に候補者を送れるだけの票を獲得した。自由党は第3政党だったので、州上院には多くの空席もあったが、勝者を選ぶ必要があった。自由党は結果を左右できる位置にあることを利用しようとしたが、ホイッグ党の離脱者1人を当選させることで、民主党が上院の多数派になった。上院はその後に州知事にモートンを選ぶことになった[52]

モートンは再度1840年に提案したものを繰り返して一連の改革を要求し、税の負担を不動産から個人の動産に転換する提案などを行った。その就任演説で奴隷制度になんら言及しなかったことをホイッグ党から批判された[53]。その任期中に、民主党の様々な派閥指導者達が、執行部と党の人事について口論し、アメリカ合衆国大統領ウィリアム・ハリソンが就任から間もなく死亡すると、次の大統領候補たちが州の支持を求めて動いたために党内がさらに割れることになった。その結果、民主党と自由党の連衡で議会の多数派となっていたにも拘わらず、改革案の多くは全く実行されず、実行されても最小限に留まった[54]。ジョージ・バンクロフトが機会の損失を嘆き、「全てが我々の位置に利益をもたらすのであれば、マサチューセッツでこれほど良い党の始まりは無かっただろう。しかしそうはならない」と述べた[55]

1843年の選挙で、田園部バークシャー郡出身のホイッグ党弁護士ジョージ・N・ブリッグスと対戦した。ブリッグスは田園部有権者に強いモートンに対抗するために選ばれていた。自由党の候補者が再び勝者を決することのできる票を獲得し、最終判断は議会に送られた。このときブリッグスがモートンより3,000票多かった。議会は再びホイッグ党の支配する所となり、ブリッグスを州知事に選んだ[56]。ホイッグ党は、モートンの就任中に成案となっていた数少ない改革のほとんどを無効にした[57]


  1. ^ a b c d Assonet Village Improvement Society, p. 157
  2. ^ a b Swackhamer, p. 384
  3. ^ Swackhamer, p. 385
  4. ^ Earle, p. 63; Earle incorrectly locates Chaddock in Rochester, New York. (Leonard, p. 82 establishes Chaddock's location.)
  5. ^ Earle, pp. 63–64
  6. ^ Emery, p. 62
  7. ^ a b c d Earle, p. 64
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  23. ^ a b Levy, p. 423
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  27. ^ Darling, p. 83
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  30. ^ Formisano, p. 104
  31. ^ Darling, p. 104
  32. ^ Darling, pp. 95–98
  33. ^ Darling, pp. 99–102, 113
  34. ^ Darling, p. 101
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  36. ^ Darling, pp. 110–118
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  38. ^ Earle, pp. 73–74
  39. ^ Frothingham, pp. 106–108
  40. ^ MacAllister, pp. 201–203, 216–230
  41. ^ Handlin, pp. 160–166
  42. ^ Hart, p. 4:87
  43. ^ Hart, p. 4:86
  44. ^ Hart, pp. 4:88
  45. ^ Roe, p. 544
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  47. ^ Earle, p. 74
  48. ^ Handlin, p. 177
  49. ^ Holt, p. 82
  50. ^ Earle, p. 73
  51. ^ Hart, pp. 4:88–89
  52. ^ Earle, p. 75
  53. ^ Handlin, p. 186
  54. ^ Handlin, pp. 187–188
  55. ^ Handlin, p. 188
  56. ^ Hart, p. 4:93
  57. ^ a b Hart, p. 4:94
  58. ^ Handlin, pp. 194–196
  59. ^ Handlin, p. 203
  60. ^ Earle, p. 81
  61. ^ Hart, pp. 4:475–479
  62. ^ Earle, pp. 81–82
  63. ^ Larson, p. 955
  64. ^ a b Emery, p. 48
  65. ^ Viens, Kate (2000年9月29日). “City's hospital began as former governor's home”. The Taunton Gazette 





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