ペネロピ (帆走フリゲート・3代) ペネロピ (帆走フリゲート・3代)の概要

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ペネロピ (帆走フリゲート・3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 16:32 UTC 版)

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『ウィリアム・テルの捕獲』 ロバート・ドッド画(ギヨーム・テルを縦射するペネロピ)
艦歴
建造: バールスドン(Burlesdon)
進水: 1798年
その後: 1815年難破
性能諸元
機関: 帆走
兵装: 36門

1800年3月30日、サー・ヘンリー・ブラックウッド艦長の指揮するペネロピはマルタ沖でのフランス戦列艦ギヨーム・テルの追撃戦に参加した。ペネロピはギヨーム・テルの艦尾から2回の舷側斉射を浴びせ、マストを打ち倒した。これによりギヨーム・テルは速度を鈍らせ、後続するイギリス戦列艦フードロイヤントとライオンは追いつくことができた。激戦ののちギヨーム・テルは捕獲された。ペネロピの損害は死者・負傷者各2名だった。

1803年以降、ペネロピはウィリアム・ロバート・ブロートン艦長の下でイギリス海峡で任務についた。

1815年4月27日、ジェームズ・ギャロウェイ艦長の指揮するペネロピはカナダのデ・ロージエ岬付近で座礁し、その夜のうちに3つの部分に分解した。乗組員の死者は40人であった。

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