ハフマン島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/12 03:19 UTC 版)
サカタインダストリィ事件
第2次ハフマン紛争の混乱を利用して、事件発覚までの紛争当事国であったオシアナ共同連合(OCU)とニューコンチネント合衆国(USN)の一部政治家や軍関係者が、生体コンピューター「バイオニューラルデバイス」の研究開発を行ってきたとされる一連の事件の総称。事件の名称は紛争中、両陣営に兵器の販売を行い、同デバイス開発に関与したO.C.U.日本の兵器メーカー、サカタインダストリィに由来する。
なお、紛争の調停を行ったザーフトラ共和国(PMO)は、事件に関与したUSN陸軍の組織ニルバーナ機関に資金援助、及び人員の配置を行っていた。
紛争終結後、2092年8月12日付のデイリーフリーダム紙の記事ではじめて明るみに出、事件解明の足がかりをつくったOCUの傭兵部隊キャニオンクロウに同行した従軍記者フレデリック・ランカスターの著書「祖国達の島(原題 Sovereign Islands)」も世界的反響を呼んだ。
事件発覚以前、各方面の反応
- 2088年
- USNにおいて、公共投資費の約3割が非公式な研究開発に用いられているという実態がUSN公安委員会の報告で発覚。この不正流用は新兵器開発を行う特殊機関に向けられたものであることまでは報告されたが、政府側は医療科学者達による民間投資であるとして兵器開発を否定。しかし、研究内容に関しては公表されなかった。
- 2089年
- ハフマン島でOCU・USNの対立が進む中、軍事行動を肩代わりする両陣営の傭兵が相次いで行方不明となる事態が多発。一部マスコミは同島の違法兵器開発の実態を調査するため特派員を派遣しているが、多くが戦闘に巻き込まれ死亡。生還した特派員からも調査内容が公表されることはなかった。
- 2090年6月3日
- ラーカス事件発生。第2次ハフマン紛争に突入。しかし、この事件そのものが一連のBD計画のための茶番劇であった。BD計画関係者には、この紛争をきっかけに開発した実験機の実戦テスト、マテリアルとなる兵士の選定など、実験を行う最適な環境を得る目的があった。
- 2090年6月21日
- ラークバレー壊滅。この日、BD計画関係者によって両陣営間でマテリアルの受け渡しがラークバレーにて行われる手筈であった。しかし、受け渡しは哨戒任務中のUSN軍部隊によって発見され、失敗。USN軍はミサイル攻撃でラークバレーごと証拠隠滅を行った。
- 2091年
- 紛争終結後、ハフマン島のテロ組織「ハフマンの魂」の活動が活発化。同組織はサカタインダストリィ関連施設を相次いで襲撃。恒平和調停軍による掃討作戦により、ロングリバース島で集団自決と公式記録にはあるが、以後も同組織と思われる活動は散発的に続いている。
- 2092年(?)
- 違法兵器開発の疑いのある企業工場を特務部隊が強襲。BD兵器と思われるWAP数体と交戦。
事件発覚後の影響
事件発覚を受け関係各国は一律に事実関係を否認するも、高まる国際世論の非難を受け、2094年にOCU、USNは報道の一部を事実と認めた。この際にOCU、USNで事件に関わったとされる将官が処分されている。一方、ザーフトラ共和国は関与を否定し続けるも、大統領は辞任し、同時にザーフトラを最高常任理事国とする恒平和調停機構事務局長メルディフスキー(当時)も辞任した。
事件の余波は大きく、O.C.U.で後に盛り上がる独立の機運に影響を与えたことは確かである。ザーフトラの国際的威信は著しく低下し、以後PMOは調停としての場としても機能を失う。サカタインダストリィは事件発覚後、経営難に陥り2094年にイグチ社に買収され姿を消した。
事件後、人間の脳をマテリアルとした兵器の開発は一切禁止された。一連の計画によって犠牲となった兵士達は俗に紛争中の戦死者を越えるとさえ語られている。
- 1 ハフマン島とは
- 2 ハフマン島の概要
- 3 ハフマン条約
- 4 サカタインダストリィ事件
- 5 恒平和調停機構
固有名詞の分類
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