クリスティアン (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 00:25 UTC 版)
生涯
1599年にミンデン司教に選ばれたが、1611年に兄のエルンスト2世が没し、後を継いだ。1617年に同族が治めていたグルベンハーゲン侯領を相続した。
三十年戦争ではシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公フレゼリク3世と争ったが、1623年に領土をティリー伯に占領された。1629年に神聖ローマ皇帝フェルディナント2世がカトリック優位の復旧令(独: Restitutionsedikt)を発布するとこれに反発、プロテスタント陣営に加わるが1633年に死去。弟のアウグスト1世が後を継いだ。
爵位・家督 | ||
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先代 エルンスト2世 |
リューネブルク侯 1611年 - 1633年 |
次代 アウグスト1世 |
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