ギザの大ピラミッド
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ピラミッド複合体
ピラミッド複合体(ピラミッド・コンプレックス)とはピラミッドを中心とする複合施設の名称。ピラミッドの他の施設として、衛星ピラミッド・王妃のピラミッド・葬祭神殿・参道・河岸神殿などが挙げられる。ピラミッド複合体にはジョセル様式とメイドゥム様式の2種があり、大ピラミッドの複合体はメイドゥム様式である[66][注釈 11]。
河岸神殿
河岸神殿はナイル川の川岸に建てられた神殿である[67]。大ピラミッドの河岸神殿は東約740m行ったギザ台地の麓から玄武岩の床が発見されたが、現在は埋め戻されており全容もつかめていない[68][16][69]。第4王朝はミイラ作りに革命が起きた時期で、遺体から脳や内臓を取り出すようになる。こうしたミイラ作りはイブウ・エン・ワアブ(清めの天幕)という仮設の構造物で行われたが、これは河岸神殿に設置されたと考えられている[68]。処置を終えた遺体はワアベト(清めの場所)に運ばれて安置されたが、このワアベトも河岸神殿内にあったと考えられている。このワアベトへの移動ではナイル川を渡ったが、河岸神殿で作られたミイラは疑似的に運河などを渡って再び河岸神殿に運び入れられたと考えられる。また、この儀式で用いられた船がクフ王の船と考えられる。クフの娘メレスアンクはワアベトに273日間安置されたと碑文に記されており、クフも同じであったと考えられる[68]。
参道
参道は河岸神殿と葬祭神殿を繋ぐ通路である。大ピラミッドの参道は20世紀初頭まで一部が残っていた。参道はナイルの川岸からギザ台地の上まで登る傾斜路になっており、その基礎構造は高さ40mに及んだと思われる[16]。ヘロドトスはこの参道は浮彫で飾られた道と記しているが、考古学者は否定的である[70]。
葬祭神殿
ワアベトに安置されていたミイラは参道を通って葬祭神殿に運ばれた[68]。葬祭神殿はその当時の王宮を模しているとされ、「王の永遠の住居」と考えられていた[71]。参道から葬祭神殿に入ると、柱に囲まれた露天の中庭に出る。中庭には中央に祭壇があったとされる。そこから西に向かうと主要な礼拝所に至る[70]。現在は中庭の黒色玄武岩の床面とそれを囲む列柱廊に建てられていた花崗岩の柱の受け口、西側の奥まった区画、外壁の土台にするために岩盤に彫られた溝が確認できるのみである。後にメイドゥム様式の葬祭神殿に現れる壁龕[注釈 12]や偽扉[注釈 13]が、大ピラミッドの葬祭神殿にもあったかは解らない[16]。また、葬祭神殿では葬儀が行われたという説もあるが、実際にそこで何が行われたのかは明らかではない[68]。
周壁
大ピラミッドは8mの高さの周壁に囲まれていた[73]。この壁は厚さ3m以上でトゥーラ産の石灰岩で作られ、大ピラミッドとの間の幅10.2mほどのスペースは石灰岩で舗装された中庭となっていた。この中庭に入るためには河岸神殿から参道を経て葬祭神殿を経由するほかなかった[16][70]。
船坑
ピラミッドの周囲には王の魂を運ぶ船を象った竪穴が開けられていることがあり、これを船坑(ボートピット)という。大ピラミッドの東側には3基の船坑があり、参道に沿うように設けられた船坑には階段が設けられ下に降りられるようになっていた[74][70]。王妃のピラミッドの間にも2基の小さな船坑がある。いずれからも内部からは何も見つかっていない[74][75]。
これとは別に、1954年には大ピラミッド南側に2基の船坑が発見された。こちらの形状は長方形で内部から解体された木造船が発見された。そのため、一般的な船坑は船を象徴する宗教的な目的の施設だが、南側の船坑は船を保存するための竪坑と考えられている[74][75]。南の船坑内の壁面から多く労働者の落書きが発見されており、クフの息子ジェドエフラーの名も見えることから、周辺施設はクフの死後に完成されたと考えられている[70]。
王妃のピラミッド
大ピラミッドの東側、参道の南側に王妃のピラミッドが3基並んでおり、それぞれ北からG1-a(英語版)、G1-b(英語版)、G1-c(英語版)と称される[76]。王妃のピラミッドは大ピラミッドと異なり、底面が水平に整えられていない。大きさは大ピラミッドの1/5に計画されていたと考えられる。完成時は真正ピラミッドであったが化粧石がはぎ取られ、階段状のコアが露出している。またコアと化粧石の間には小さな石灰岩の充填材が封入されていた事が確認できる。入口は北側でひとつの玄室が岩盤を掘り抜いて作られており、玄室は石積みで仕上げられていた[76]。またそれぞれ東側に小型の礼拝室が設けられていたが。G1-cのみがその壁面を残している[注釈 14]。
被葬者はG1-aはクフの母ヘテプヘレス、G1-bはクフ王妃メリトイテス、G1-cは同じく王妃ヘヌトセンとする説が有力である[76]。いずれも内部からは何も発見されていないが、G1-aの東側の竪孔からヘテプヘレスの副葬品が発見されている。これは盗掘を逃れた遺品を再埋葬したものと考えられている[76]。シュターデルマンは、G1-cの位置が大ピラミッドの南側ではなく、大ピラミッドの南側に並ぶマスタバに合わせて計画されていることから、G1-cは後にカフラー王が母の為に建てたと推測している[70]。
衛星ピラミッド
1992年に大ピラミッドと王妃のピラミッドの間に底辺が僅か20mあまりの小型のピラミッドが発見された。これはG1-d(英語版)と称され、王のカァの墓とされる衛星ピラミッドだと考えられている[16][77]。内部はT字の下降通路と墓室をそなえる[16]。この衛星ピラミッドからはピラミディオンが発見されている[70]。
東西のマスタバ群
ピラミッドの東西には多くの個人墓(マスタバ)が周辺にある。マスタバはそれぞれ1mから2m程度の間隔をあけて規則正しく並んでいる。現在は外装が剥がされているが、完成時には大ピラミッドと同様に化粧石で覆われていたと考えられる。東側は王族用、西側が高官用とされている[75][16][78]。
注釈
- ^ 死者は最終的に「祝福された霊」という存在になると信じられ、これをアクと呼んだ[6]。
- ^ 底面が水平になっているのは外周部のみと考えられ、内部の底面は自然の低い丘をそのままのこしていると考えられている[16]。
- ^ 充填材とは、壁などの構造物の外壁などを良質な石材を積み上げて作り、その内部に封入するがれきや質の悪い建材などのこと。古代エジプトではよく用いられる手法[20]。
- ^ 内部螺旋傾斜路説を唱えるジャン=ピエール・ウーダンは、この窪みを石材を方向転換するオープンスペースであると主張したが、河江はこの説を否定している[21]。
- ^ ライナー・シュタデルマン(英語版)は粗削りな状態は冥界の洞穴を表現したものと推測している[23]。その仮説によれば、王は死後に死の神ソカルと融合する場所が地下室であった[24]。
- ^ 持ち送り構造はスネフェルのダハシュールピラミッドで初めて採用された構造[23]。
- ^ スネフェル王のピラミッドなど一部は地上にあるが、これほど高い位置ではない[23]。
- ^ 隕鉄や青銅は装飾具として使用されていた[37]。
- ^ 第3王朝のフニ王のピラミッド、第4王朝のスネフェル王の崩れピラミッドなど[45]。
- ^ ピラミッドを二つに割るように傾斜路を作る方法で、第5王朝のサフラー王のピラミッドで確認されている[48]。
- ^ メイドゥム様式の特徴は複合体の軸線が東西軸で入口が東側中央にあり、東西軸に対して対称な構造でカァの墓として衛星ピラミッドがあるなどの特徴がある[66]。
- ^ 王像を収めるための壁の窪み[72]。
- ^ 来世への入口[71]。
- ^ G1-cの礼拝室は、第21から26王朝時代にピラミッドの女主人という称号をもつイシスの神殿に作り替えられたため、現存したと考えられている[76]。
- ^ ボーヴァルは地球の歳差運動と星座の関係に着目するあまり、古代エジプトの起源を10450年前とする超古代文明を主張するようになる[41]。
- ^ エメンエムハト1世の神殿を調査したメトロポリタン美術館は、このレリーフをギザとは別のクフ王の神殿から運ばれたと推測している[70]。
- ^ 現在でも「ニュートンはピラミッドが世界の終末を解く鍵だと信じていた」などの言説があるが、これらは19世紀以降に唱えられるようになったものである[98]。
出典
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