エンヒッキ・松茂良・ジアス 経歴

エンヒッキ・松茂良・ジアス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 02:54 UTC 版)

経歴

幼少期

1989年6月16日、ブラジルサンパウロにて、スペイン・イタリア系ブラジル人の父と日系ブラジル人の母のもとに長男として生まれた。

5歳の時、自宅前の交差点で信号を待っている際にトラックが突っ込んできたことで、一時は命が危険にさらされるほどの重傷を負い大手術により一命をとりとめるも、大腿部より右足を失った。

長期にわたる病院生活を終えた後は、車いすと義足でリハビリを行うが、成長期ということもあり違和感が生じたため、片足+クラッチ(松葉杖)を体の一部として歩行するようになった。

退院から2年くらいたつと、義足なしでの片足の生活が「当たり前」となったという。

サッカーとの出逢い

入院中、ベッドの上でしていたサッカーゲームや、お見舞いに来てくれた伯父から聞かされたサッカーの話をきっかけに、徐々にサッカーへ興味を抱く。

8歳頃にはボールを蹴り始め、片足+クラッチを使ってサッカーをするようになった。従兄妹弟たちと共に、週末になると中庭のフットサルコートでサッカーをする日々が続いた。

また、退院後はクラッチを使って歩くことがやっとだったが、サッカーを始めたことで、クラッチを使って走れるようになった。

アンプティサッカーとの出逢い

当時、通学の傍ら障がい者スポーツセンターに通っており、水泳や卓球を楽しんでいたある日、新聞記事で「アンプティサッカー」の存在を知った。

(当時ブラジル代表チームはアンプティサッカーで世界最強であり、優勝していた。)

当時、サンパウロで競技をやっている人はいないと言われ、競技への参加をあきらめていた。

13歳を迎えた2年後、アンプティサッカーの全国大会(ブラジル国内)が開催されるという知らせを受け、チームを作り参加することを決意。

ゼロからサンパウロを拠点にアンプティサッカーのチームを組成した。当時のチーム名は「AACD(障害児童サポート協会の頭文字)」。メンバーには20~30代の選手もいたが、ド素人で結成されたチームの結果は全敗。全参加チームの最下位だった。

当大会で、エンヒッキは「新人賞」を受賞。また競技を知るきっかけとなったアンプティサッカーブラジル代表のエース、マリオ・メロ選手に会えたことが、その後の選手人生の大きな転機となった。

ブラジル代表時代

13歳の時の全国大会にて、アンプティサッカーブラジル代表のエース、マリオ・メロ選手と出逢い、「サッカーを続ければ、いつか代表選手になれるよ」という言葉をかけてもらったことがきっかけとなり、練習に打ち込んだ。

「かわいそうと思われたくない」という気持ちで一心不乱に練習に励み、2007年11月エンヒッキが18歳の時、ブラジル代表としてワールドカップに初招集された。

ブラジル代表は2005年の第6回大会までは優勝3回、準優勝2回、3位が1回と好成績をおさめており、ロシアやウズベキスタンといった強豪国を退け、世界ナンバーワンの実力を誇っていた。

第7回のワールドカップトルコ大会では、10代の選手がエンヒッキを含め3名招集されたが、急成長を遂げた開催国トルコに惜しくも敗れ、4位となった。

卒業~来日

幼少期から日本にいる親戚の元に滞在し、通学していたこともあり、日本での安全で便利な生活に憧れていた。

高校卒業後はすぐに沖縄の伯父の元で留学するも、言語の壁を超えることができず失意のうちにブラジルへ帰国。

その後まもなくアンプティサッカーブラジル代表選手として召集され、デビューすることとなった。

ブラジル帰国後は現地での大学進学が決まっていたが、同時期に幼少期から兄のように慕っていた従兄からの提案があり、日本での就職の機会を手にしたことで日本での生活を再開した。

日本におけるアンプティサッカーの創始者として

エンヒッキが就職で来日した当時はまだ日本にアンプティサッカーが競技として存在していなかった。

社内で知的障がい者サッカーの指導をしている杉野正幸氏(現アンプティサッカー日本代表監督)がいることを知り、

彼の教えるスクールに出向いた。その日からしばらくの間、エンヒッキはクラッチを使ったアンプティサッカースタイルで杉野氏の教えるスクールの子供たちに交ざり、サッカーを楽しんでいた。

杉野氏の助言もあり、日本でアンプティサッカーのメンバーを集め始めたことで、徐々に競技人口を増やしていくこととなった。



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