アラン・ジャゴエフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 05:35 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 |
アラン・エリズバロヴィッチ・ジャゴエフ Alan Yelizbarovich Dzagoev | |||||
ラテン文字 | Alan DZAGOEV | |||||
ロシア語 | Алан Елизбарович Дзагоев | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ロシア | |||||
生年月日 | 1990年6月17日(33歳) | |||||
出身地 | ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 ベスラン | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 | クリリヤ・ソヴェトフ-SOK | 37 | (6) | |||
2007-2022 | CSKAモスクワ | 282 | (55) | |||
2022-2023 | ルビン・カザン | 20 | (3) | |||
2023 | ラミア | 2 | (0) | |||
通算 | 341 | (64) | ||||
代表歴 | ||||||
2009-2013 | ロシアU-21 | 3 | (1) | |||
2008-2018 | ロシア | 59 | (9) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
クラブ
1990年6月17日、ロシア北オセチア共和国のベスランで父エリズバールと母ラナの間に生まれた。兄がサッカーをしていたことと母の勧めで、2000年、ウラジカフカスのユースチームでサッカーを始める。2006年から2007年までの2年間は、ロシア・セカンドディビジョンのクリリヤ・ソヴェトフ-SOKでプレーし、37試合・6得点の結果を残した。
2007年12月、PFC CSKAモスクワに移籍。ロシア・カップ2008では、2試合に出場し、優勝に貢献。2008年度のロシア・リーグでは、FCスパルタク・モスクワ戦 (5-1)では3アシストを記録。さらにFCゼニト・サンクトペテルブルク戦 (3-1)では2得点を挙げるなどの活躍。2009年シーズンから背番号が46から10に変更。
2023年9月28日、PASラミア1964に1年契約で移籍した。同年11月21日、現役引退を表明した。
代表
ロシア代表のユース年代ではU-17代表として6試合に出場し、4得点の結果を残している。本来であれば、U-21代表を経由するところ、2008年10月に飛び級でA代表に初選出された。同月17日のW杯予選のドイツ戦で18歳と116日で、史上最年少での代表デビューを果たした。2010年10月8日のEURO2012予選、アイルランド戦で代表初得点を記録。
2018 FIFAワールドカップの本大会メンバーに選出され、グループリーグ初戦のサウジアラビア代表戦で先発したが、前半24分にハムストリングを負傷し、残り2試合の欠場を余儀なくされた[2]。
人物
- 地元のクラブ、FCアラニア・ウラジカフカスのファンであるが、CSKAモスクワでのプレーも夢だったと語っている。
- 子供の頃から憧れている選手はエフゲニ・アルドニンとフランク・ランパード。
- 兄もポジションも同じMFでプロサッカー選手であったジェラ・ジャゴエフ(Gela Dzagoev、1988年1月31日 - )。
- 2012年7月に結婚、結婚式にはチームメートの本田圭佑らが出席した[3]。
- ^ “АЛАН ДЗАГОЕВ СТАЛ ИГРОКОМ "РУБИНА"” (ロシア語). Rubin Kazan (2022年9月2日). 2022年9月5日閲覧。
- ^ 開催国ロシアに痛手…ジャゴエフがハムストリングの負傷で残り2試合を欠場へサッカーキング 2018年6月18日
- ^ Qoly.jp (2012年7月22日). “CSKAのザゴエフ、結婚式で華麗なダンスを披露”. 2012年7月23日閲覧。
- 1 アラン・ジャゴエフとは
- 2 アラン・ジャゴエフの概要
- 3 個人成績
- 4 獲得タイトル
固有名詞の分類
- アラン・ジャゴエフのページへのリンク