「有栖川宮織仁親王」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/110件中)

仁和寺第二十九代門跡。有栖川宮織仁親王の第五王子。幼名は誠宮。文化6年親王宣下があり、名を修道と賜わる。弘化2年(1845)薨去、51才。
有栖川宮織仁親王の皇女。後に光格天皇の猶子となる。寛政9年11月、11才で円照寺に入内。弘化3年(1846)6月21日、60才で薨去。
有栖川宮織仁親王の第五王子。幼名は誠宮、名は修道。光格天皇の養子となる。法号は不壊律院宮。弘化2年(1845)歿、51才。
読み方:ちぐさ ありこと江戸後期の公卿・歌人。号は千々迺舎・鶯蛙園・在琴。千種有条の子。有栖川宮織仁親王、久世通理に入門する。四条派の画、書を能くした。正三位右近衛権中将に至る。安政元年(1854)歿...
読み方:ちぐさ ありこと江戸後期の公卿・歌人。号は千々迺舎・鶯蛙園・在琴。千種有条の子。有栖川宮織仁親王、久世通理に入門する。四条派の画、書を能くした。正三位右近衛権中将に至る。安政元年(1854)歿...
有栖川宮織仁親王の第八王子。幼称を種宮。知恩院門室を相続し、光格天皇の養子、のち徳川家斉の猶子となる。また親王宣下を蒙り、福道の名を賜わる。文化7年得度し、法諱を尊超と称する。嘉永5年(1852)薨去...
読み方:そんちょうにゅうどうしんのう有栖川宮織仁親王の第八王子。幼称を種宮、諱は福道。知恩院門室を相続し、光格天皇の養子、のち徳川家斉の猶子となる。文化7年親王宣下を受け、同年得度し法諱を尊超と称する...
読み方:そんちょうにゅうどうしんのう有栖川宮織仁親王の第八王子。幼称を種宮、諱は福道。知恩院門室を相続し、光格天皇の養子、のち徳川家斉の猶子となる。文化7年親王宣下を受け、同年得度し法諱を尊超と称する...
読み方:しょうしんほうしんのう有栖川宮織仁親王の第三王子。幼称は初め邦宮、のち永宮。青蓮院宮尊真入道親王を戒師として得度、法諱を承真と称する。僧正に任じられ、法印に叙せられた。光格天皇の養子となり親王...
読み方:しょうしんほうしんのう有栖川宮織仁親王の第三王子。幼称は初め邦宮、のち永宮。青蓮院宮尊真入道親王を戒師として得度、法諱を承真と称する。僧正に任じられ、法印に叙せられた。光格天皇の養子となり親王...
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