KジルジャンとAジルジャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:18 UTC 版)
「ジルジャン」の記事における「KジルジャンとAジルジャン」の解説
1865年、アベディス2世が亡くなり、2人の息子(長男ハルーティアン(先代と同名)と次男アラム)がいたが、幼い長男にかわって、アベティス2世の弟ケロップがシンバル製造技術を受け継ぎ『K.ZILDJIAN&Cie(Kジルジャン社)』の名で、トルコのコンスタンチノープルでシンバルの製造を開始し、ここで『Kジルジャン』の歴史が始まる。またケロップはヨーロッパ、アメリ力合衆国の見本市においてシンバルを展示した。 ケロップは、本来の正統な継承者であるアベティス2世の長男・ハルーティアンも継承できる年頃になったが、当の本人は断固としてシンバル製造業を嫌い役人になったため、繰り上げで次男アラムにシンバル製造技術を継承した。アラムは『A.ZILDJIAN&Cie(Aジルジャン社)』の名で、やはりコンスタンチノープルでシンバルの製造を始めた。 本来の継承ではなく一時的にできたKジルジャンブランドだったが、1909年、ケロップが亡くなると、その娘婿ミカエル・ジルジャン(ミカエル・ダルカリアン)が後を引き継いだため、コンスタンチノープルでのKジルジャンシンバルの製造は続けられる事となりAジルジャンとは別にKジルジャンブランドの名を強める事となった。これにより、ジルジャンシンバルのブランド名は『Aジルジャン』(トルコA)と『Kジルジャン』(トルコK)の2つに分かれる事となる。 『Kジルジャン社』は、トルコ共和国の成立で、これまでイスタンブールの別名として対外的に通用していたコンスタンチノープルの名が使えなくなったため、ブランド名の刻印が『K ZILDJIAN&Cie CONSTANTINOPLE』(Kジルジャン・コンスタンチノープル)から『K ZILDJIAN&Co ISTANBUL』(Kジルジャン・イスタンブール)にかわり、ジルジャンの姓もトルコ語風に Zilcijan と綴られるようになった(なお1950年代には後にイスタンブールを設立するアゴップ・トムルシュク(Agop Tomurcuk)とメメット・タンデガー(Mehmet Tamdeger)が『Kジルジャン社』に勤め始める)。
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