2013年-:AG2R・ラ・モンディアル
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「サミュエル・デュムラン」の記事における「2013年-:AG2R・ラ・モンディアル」の解説
2013年、父のように慕うヴァンサン・ラヴニュ率いるAG2R・ラ・モンディアルに移籍。エトワール・ド・ベセージュ第5ステージとグランプリ・ド・プリュムレック=モルビアンで優勝。10月には、ツール・ド・ヴァンデで2位に入り2年連続でク―プ・ド・フランス総合優勝した。 2014年、勝利こそなかったもののグランプリ・ドゥヴェルテュール・ラ・マルセイエーズで3位、ツール・デュ・オー・ヴァルとパリ〜コレーズでは総合2位に入った。 2015年、ドローム・クラシックで1年半ぶりに優勝。しかし、調整がうまくいかず2007年から8年間連続で出ていたツール・ド・フランスには出場しなかった。 2016年、ラ・ルー・トゥランジェル、グランプリ・ド・プリュムレック=モルビアン、ブークル・ド・ロルヌというクープ・ド・フランスのレースで3連勝。8月、チームと契約を2年間延長。それから数週間後には、ツール・デュ・ドゥーでは集団スプリントでバプティスト・プランカールトやティボー・フェラスに先着し優勝。プリュムレックで行われたヨーロッパ選手権ロードレースにはフランス代表として出場し4位。10月、ツール・ド・ヴァンデで2位に入り3度目のク―プ・ド・フランス総合優勝を達成した。 2017年、シーズン序盤はツール・デュ・オー・ヴァル第1ステージで優勝、パリ〜カマンベールで2位、グランプリ・ド・プリュムレック=モルビアンで3位。夏には、ツール・ド・レン第2ステージのスプリントでナセル・ブアニに続き2位。しかし、第3ステージで落車し、意識を失い外傷性脳損傷に苦しんだ。 2019年のフランス国内選手権・ロードレース(DNF)を最後に現役を引退。
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