2001年~引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/12 19:50 UTC 版)
「ミロスラヴァ・ヴァヴリネック」の記事における「2001年~引退」の解説
2001年はツアーでは前年ほどの成績は残せなかったが、9月の全米オープンシングルスでは、1回戦で第31シードのクリスティナ・トレンス・バレロ(英語版)を2-6,6-1,6-1のフルセットで破ると、2回戦ではタチアナ・ポウチェク(英語版)を7-5,4-6,6-2のフルセットで下し、自身初のグランドスラム3回戦に進出。3回戦では当時世界ランク6位の第6シードジュスティーヌ・エナンと対戦したが、エナンに3-6,2-6のストレートで敗退した。しかし2002年シーズンにはに入ると古傷の踵の怪我が悪化、全豪オープンシングル予選から開幕5連敗を喫する不振に陥るようになり、ランキングも急降下する。4月のGDFスエズ・グランプリシングル予選1回戦でチェコ人選手に敗退したのを最後にツアーを離脱し、リハビリを行いながら抜本的な手術を行うか悩んでいたが、当時恋人であったロジャー・フェデラーから自身専属のツアー帯同広報/マネージャーとしての話を持ちかけられ、結局これを引き受ける形で復帰を諦め引退した。
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