2区体制時代
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定数削減によって2選挙区となった時、県内を東西に分割する方式をとった。旧1区が半分に分割され、旧2区と合併した東半分が新1区、旧3区と合併した西半分が新2区となる。当時選出枠を独占していた自由民主党の候補者選定もこれに従い、第47回以降は旧2区の中谷元が新1区、旧3区の山本有二が新2区にそれぞれ横滑りし、旧1区の福井照は比例四国ブロックに転出した(なお第49回では山本も比例四国ブロックの単独立候補となり、新2区には尾崎正直が出馬した)。なお福井は47・48回では比例順位が優遇され当選したが、49回では順位が選挙区との重複立候補者より下位となった影響で落選した。
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2区体制時代(現在)
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定数削減によって2選挙区となった時、県内を東西に分割する方式をとった。旧1区が半分に分割され、旧2区と合併した東半分が新1区、旧3区と合併した西半分が新2区となる。当時選出枠を独占していた自由民主党の候補者選定もこれに従い、第47回以降は旧2区の中谷元が新1区、旧3区の山本有二が新2区にそれぞれ横滑りし、旧1区の福井照は比例四国ブロックに転出した。そのため、2区は新旧で実質別の選挙区となっている。
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