1977年 瀬名波通信施設
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「ボーローポイント」の記事における「1977年 瀬名波通信施設」の解説
1977年10月6日、「ボロー・ポイント射撃場」 から「瀬名波通信施設」 に名称変更。 1978年9月30日、管理権が陸軍から空軍に移管。 1983年3月31日、遊休地約 5,000㎡を返還。 1992年3月31日、住宅用地約800㎡を返還。5月14日、約 620 ㎡を返還。 1996年3月31日、墓地用地約 100 ㎡を返還。7月2日、通信ケーブル等として工作物(通信ケーブル)を追加提供。 1997年3月27日、境界標として工作物(境界標)を追加提供。 1999年9月2日、住宅用地約 250 ㎡を返還。 2000年10月31日、囲障等として工作物(囲障等)を提供。 2001年3月31日、住宅用地約40 ㎡を返還。 2006年9月30日、一部鉄塔施設 (0.1ha) を除き全面返還。 瀬名波通信施設としての概要 場所:読谷村(字瀬名波、字宇座、字渡慶次) 施設面積:4,816,000㎡ (1972年) → 612,000㎡ (2014年) 現在の地主数:401人 現在の年間賃借料:372百万円 駐留軍従業員数:52人
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