1977年 瀬名波通信施設とは? わかりやすく解説

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1977年 瀬名波通信施設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 05:36 UTC 版)

ボーローポイント」の記事における「1977年 瀬名波通信施設」の解説

1977年10月6日、「ボロー・ポイント射撃場」 から「瀬名波通信施設」 に名称変更1978年9月30日管理権陸軍から空軍移管1983年3月31日遊休地約 5,000㎡を返還1992年3月31日住宅用地800㎡を返還5月14日、約 620 ㎡を返還1996年3月31日墓地用地100 ㎡を返還7月2日通信ケーブル等として工作物通信ケーブル)を追加提供。 1997年3月27日境界標として工作物境界標)を追加提供。 1999年9月2日住宅用地250 ㎡を返還2000年10月31日囲障等として工作物囲障等)を提供。 2001年3月31日住宅用地40 ㎡を返還2006年9月30日一部鉄塔施設 (0.1ha) を除き全面返還瀬名波通信施設としての概要 場所読谷村(字瀬名波、字宇座、字渡慶次施設面積:4,816,000㎡ (1972年) → 612,000㎡ (2014年) 現在の地主数:401現在の年間賃借料372百万駐留軍従業員数52

※この「1977年 瀬名波通信施設」の解説は、「ボーローポイント」の解説の一部です。
「1977年 瀬名波通信施設」を含む「ボーローポイント」の記事については、「ボーローポイント」の概要を参照ください。

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