1953年8月 読谷村渡具知
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「銃剣とブルドーザー」の記事における「1953年8月 読谷村渡具知」の解説
1945年4月1日、日本軍の北飛行場があったために米軍の最初の上陸地点となった読谷村では、米軍占領下で村の大半が米軍基地化されていたため、各地の収容所に送られた住民は戦後もなかなか帰村することもできなかった。1951年5月、米軍は渡具知区の帰村許可を出し、住民は6年ぶりに渡具知に復帰した。翌年1952年9月に移動完了祝賀会を済ませ、これから地域の復興をという時、突然1953年1月に米軍から立ち退き命令が伝えられた。トリイ通信施設の南側に「楚辺戦略通信所」を新しく敷設するためだった。3月、住民は立ち退き取り消しのための請願書を提出するなどしたが、8月13日、比謝後原へ移住した。
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