1919年: 3歳
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「グランドパレード」の記事における「1919年: 3歳」の解説
1919年の春は公の場でレースをしなかった。同じ厩舎のDominionが2000ギニーで3位に終わりNewmarket Stakesで勝利しダービーに期待され注目されていた。しかし、グランドパレードは好調で私的なレースで"He"と呼ばれる4歳馬とレースをしダービーでの自身の地位を確立した。年上の馬(後にコロネーションカップで勝利した馬)に3ポンドを譲り、楽に勝利した。この印象的な成果のニュースが公になると、ダービーでの期待が高まり、100/12(8/1強)のオッズが出された。しかし、ダービーの直前にかかとにけがを負い調教を中断し参加が疑われたため、オッズは33/1になった。GlanelyとBarlingの厩舎の騎手Arthur SmithはDominionに騎乗することを選択し、グランドパレードはFred Templemanが騎乗することになった。 1919年のダービーは、第一次世界大戦以来初めてエプソム競馬場で開催された。軍により約4年間使用されてきた芝コースは非常に状態が悪く、レースの朝の雨により予想ができなくなった。このレースは終戦以来最初の競馬大会に参加していたジョージ5世を含む多くの観衆を魅了した。グランドパレードはオッズ33/1と人気が薄く、2000ギニー勝者のThe Pantherがオッズ6/5で一番人気となった。The Pantherはスタート時に激しく動揺しスタートを数分遅らせたことでチャンスを失ったように見えた。レースが始まると、Templemanはグランドパレードを目立つ位置にし、直線に入るときにPaper Moneyに次ぐ2位につけた。直線の途中でPaper Moneyを追い抜き、勝利した。差してきたBuchanは2位となり、Paper Moneyは3位となった。 6月中旬にロイヤルアスコットのセントジェームズパレスステークスに出場し、唯一負けを喫したGlanmerinと対戦した。この最後のレースでは4分の3馬身差で勝利したが、これはGlanmerinでの騎乗が良くなかったためであろう。
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