1859年春夏
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「アメリカ陸軍ラクダ部隊」の記事における「1859年春夏」の解説
1859年3月25日、フロイド長官はペコス川とリオ・グランデ川の間の地域を、ラクダを使って偵察するよう指示した。 1859年5月に出発となった。陸軍地形技師のウィリアム・E・エコールズ中尉が偵察、エドワード・L・ハーツ中尉が護衛を指揮した。隊には24頭のラクダと24頭のラバが含まれていた。5月18日にキャンプハドソンに到着。5日間留まったのち、テキサス州フォート・ストックトンに向けて出発、6月12日に到着した。 6月15日、遠征隊はラクダが水なしで生き残る能力をテストするために、インディペンデンス・クリークの河口に出発した。時速4マイルで約85マイルを走破したがラクダは途中で水を欲しがることはなかった。その後一行はリオ・グランデ川近くのフォート・デイビスまで114マイル、4日間の旅に出発した。フォート・デイヴィスに到着すると、馬とラバは苦しんでいたが、ラクダは平気であった。3日間の休養の後、遠征隊はフォート・ストックトンに戻った。ハーツは「この国の水利の悪い地区における軍事目的でのラクダの優位性は、十分に確立されているようだ」と報告した。 別の遠征が1859年7月11日に行われ、フォート・ストックトンからテキサス州サン・ビセンテに向かい、7月18日に到着した。この遠征隊は、極めて荒れた地形を7日間、1日約24マイル移動した。サン・ヴィセンテで一晩キャンプした後、一行はフォート・ストックトンに戻り、7月28日に到着した。
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